世界最速はどの車か!? 頂上探求|留まることを知らないスーパーカーワールド
スーパーカーワールドは200mphから250mphへと膨脹し、その勢いは留まることを知らない。 【画像】超弩級!ブガッティ・ヴェイロン16.4、ヴェイロン・スーパースポーツ、シロンスーパースポーツ300+、マクラーレンF1、ケーニグセグ・アゲーラRS、SSCアルティメット・エアロTT(写真6点) ーーーーー 世間では、市販車で250mph(402km/h)の壁を超えたのはブガッティ・ヴェイロンだと思われている。イギリスBBCの著名自動車番組『TOP GEAR』で番組プレゼンターのひとり、ジェームス・メイが253.2mphという驚異的な最高速を樹立したエピソードを記憶している方もいることだろう。 “キャプテン・スロー”のニックネームで呼ばれていた彼だったから、「たとえ走りが遅い人でもヴェイロンなら250mphを出せる」という、分かりやすいシナリオで番組は仕上げられていた。だが、世間には 1993年にダウアー962ル・マンが樹立した251.4mphが先ではないかとする声があるのも事実である。最高速記録の持ち主については論争が常に絶えず、事実確認に悩まされる市販車最高速記録の世界へお連れしよう。 ●“市販車”のくびき 1980年代、ポルシェが959で198mphを誇っていたところ、フェラーリがF40で201mphに達したと“主張”し、ポルシェから最高速記録王者の座を奪還した。もっとも第三者によるフェラーリの主張を検証したデータは存在しなかったのだが… 一方、ジャガーはXJ220で最高速記録を樹立しようとしたが、テスト時にエンジンの最高出力が50bhpほど高められていたことが明らかになって、「市販車」という扱いにはならなかった。アウトバーンを200mphで疾走する姿を目撃している筆者は、RUFが 213mph(342.78km/h)という最高速記録樹立に疑念を抱くことはなかった。そして、RUFは自動車メーカーとして公に認められた存在であると同時に、ポルシェ911を「改造」した車両に過ぎないという議論は一理あると認めざるを得ない。 1998年、マクラーレンF1がドイツ北部にあるフォルクスワーゲン・グループ所有のテストコース、エーラ・レッシェンにて、時計回り・反時計回りの周回で平均時速 240.1mph(386.39km/h)に達したことで、最高速記録の座をほしいままにしたかと思われた。 ゴードン・マレーがマクラーレンF1を設計した際、彼は多くの目標を設定したのは事実だが、実はパフォーマンスについての目標設定はしていなかった。もちろん、マクラーレンF1の軽さとBMW製 6.1リッターV12エンジンの卓越した最高出力と最大トルクが強烈な加速をもたらし、優れた空力特性を得るデザインと動力性能の高さにより、それなりの最高速に達することは容易に予見できた。しかし、最高速度は221mph(355km/h)で7500rpmのレブリミッターが作動するはずだった。実はアンディ・ウォレスが平均240.1mphという最高速記録を樹立した際、レブリミッターは8300rpmまで引き上げられていたのだ。 顧客向け車両と比較するとセッティングとは異なったのは事実だが、ハードウェアに手を加えたのではなく、あくまでもレブリミッターの作動回転数を変更しただけで基本は市販車のままであった。英国贔屓という声もあろうが、ギネス世界記録もハードウェアへの変更点がなかったとして、マクラーレンF1の最高速記録をギネス世界記録として認定した。 対してダウアー962は「飛び道具的色合い」が隠せない。たしかにダウアーはポルシェの支援を受けて同社の962LMを公道仕様へとコンバートした、れっきとした自動車メーカーではあった。RUF同様、優秀な改造車であったことに疑いの余地がない。“市販車”として13台が販売されたことによりFIAが定めた規定をクリアして、ポルシェは1994年にル・マン24時間への参加が可能になった。ただ、ダウアー964LMが走ることを想定された公道は、ミュルザンヌ・ストレートくらいだろう。 ●最高速更新への挑戦 市販車うんぬんの縛りがなければ、最速記録自体は議論の余地がなく明快だ。世界で初めて250mphの壁が突破されたのは1932年のデイトナビーチだった。ドライバーのマルコム・キャンベル自身が開発した「キャンベル・ネピア・レイトン・ブルーバード」での253.968mph(408.88km/h)だった(編集部註:キャンベルは1935年9月3日にボンネビル・ソルトフラットで往路復路平均301.13mphを記録し、史上初の300mph超を樹立している)。それにしても日進月歩している市販車が 250mphの壁を超えるまでに、なぜ 70年近くもかかったのだろうか? キャンベル・ブルーバードは最高出力1450bhpを発揮する排気量 24リッターの“ネピア・ライオン”航空機用エンジンを搭載し、平坦な路面を直線で走るだけを目的に設計・開発された車両だった。ひとたび「市販車」では衝突安全テストに合格し、ホモロゲーションを取得し、様々な条件や道路に順応できるフレキシビリティを要求される。そして購入者にとって安全な車でなければならないと、実にハードルが高い。 その点、故人であるVWグループ総帥、故フェルディナント・ピエヒによるブガッティ・ヴェイロン16.4の性能目標は優秀だった。なぜなら最高速250mphを達成すればマクラーレンF1が打ち立てた記録を大きく引き離すばかりか、メトリック表示では400km/h超という前人未踏の数値も手に入れることができると踏んだのだった。そして、ブガッティは見事に市販車最速の座を射止めた。 しばらく市販車最速記録はブガッティがほしいままにできるかと思いきや、250mphでさえも十分ではなかった。というのも他のスーパーカーメーカーも250mphばかりか、それ以上を目指していたからだ。そして、市販車最速記録のためにブガッティも新型車の投入を余儀なくされた。もっとも、新型車への需要も旺盛だったが。 ゴードン・マレー自身は、マクラーレンF1が樹立した記録はいつか破られるだろうが、自然吸気エンジン搭載車では無理であろうと予測していた。ブガッティは資金面でもハード面でも“見劣り”する、小規模スーパーカーメーカーに記録を塗り替えられること良しとしない様子だ。一方、小規模スーパーカーメーカーはというと、エーラ・レッシェンのような8.7kmにおよぶ直線と高速バンクを備えた一周が20kmにもおよぶテストコースへのアクセスがなく、自分たちの最高速を証明するのが難しいとの声があがっている。もっとも、一部のスーパーカーメーカーは道路封鎖の許可を得て長い直線を確保している。 ブガッティ・ヴェイロン16.4を超える最高速記録を樹立したスーパーカーのひとつに、アメリカの SSCアルティメット・エアロTTが挙げられる。ツインターボを備えた6.3リッターV8エンジンは最高出力 1287bhpを誇り、2007年に256mph(411.98km/h)という最高速を叩き出し第三者による認定も受けた。市販車最高速記録保持車としては有名だが、記録以外の話はあまり聞かない、いわば一発屋だ。 すんなり新記録を受け入れなかったブガッティは、ヴェイロン・スーパースポーツを投入し、W16エンジンの最高出力を1183bhpにまで引き上げ、空力特性を改良して、2010年に267.9mph(415.03km/h)を記録した。しかし、市販車は258mph(415.19km/h)に制限されていたため、当初、ギネス世界記録はこの記録を認めなかった。ただ、ブガッティによる抗議を受けて、しばらくして世界記録として認定されたのは、マクラーレンF1のレブリミッターの一件が影響していそうだ。 2017年には、スウェーデンからケーニグセグ・アゲーラRSが登場した。アゲーラは5リッター・ツインターボV8エンジンを搭載して、数年を費やして徐々にパワーを引き上げてきた。そしてアゲーラRSでは遂に最高出力 1341bhp(1000kW、つまりメガワット!)に達し、アメリカ・ネバダ州の高速道路で平均 277.87mph(447.17km/h)という新記録を樹立した。現在に至るまでケーニグセグは市販車世界最速記録を保持しており、ブガッティはいわば“挑戦者”という立場にある。 ブガッティも反撃に転じている。2019年にはエーラ・レッシェンにて最高出力1578bhpを誇るシロン・スーパースポーツ 300+で304.7724mph(490.47km/h)に達し、記録は第三者による検証もなされている。300mphを初めて超えた市販車ではあるが、市販車にないロールケージのほかレース用シート、わずかに車高が低められたプロトタイプであるために、ギネス世界記録には認定されていない。また、それ以前にSSCトゥアタラが叩き出した295mph(474km/h)がギネス世界記録として認定されていないのと同じ、もうひとつの理由があった。高速周回路の場合なら、時計回りと反時計回りの両方向の走行、直線路であるなら往路と復路で平均計測が必要なのだが、シロン・スーパースポーツ300+は一方向しか走っていなかったのだ。 アンディ・ウォレスは、この件について、「エーラ・レッシェンは時計回りで記録が出せるように設計されているのです。反時計回りで304.7724mphというスピードを出したら、フィニッシュラインに辿り着かないかもしれません」と回想している。 エンジニアたちは、シロン・スーパースポーツ300+ならもう少し最高速は伸びると踏み、アンディ・ウォレスに再挑戦するか否か尋ねたところ1度の最高速トライアルで断られたそうだ。エンジニアたちにとっての「もう少し」とは、310.752mph超えを狙っていたのではなかろうか。なぜならこの壁を破ると500km/hに達するだからだ。エンジニアたちの記録更新への貪欲さ、アンディ・ウォレスの断る勇気、いずれも賞賛に値する。 編集翻訳:古賀貴司(自動車王国) Transcreation:Takashi KOGA (carkingdom) Words:John Barker
古賀貴司 (自動車王国)