「耳が聞こえない弟のぶんも頑張れ」障害のある弟をもつ「きょうだい児」東大卒弁護士が苦しんだプレッシャー「聞こえる自分が申し訳ない」
障害のある兄弟姉妹がいる人のことを「きょうだい児」と呼ぶことをご存じでしょうか。藤木和子さんは、耳の聞こえない弟をもつ「きょうだい児」の立場の弁護士として、自身の経験や考えを伝えたいと、積極的に発信しています。親や周囲からのプレッシャーに悩んだという子ども時代について聞きました。(全3回中の1回) 【写真】弟に障害があると判明した当時、小学校に入学したばかりだった藤木和子さん ほか(全11枚)
■弟に障害があっても「きょうだいは対等」と思っていた ── 弟さんの聴覚障害は生まれてすぐに判明したのでしょうか。
藤木さん:弟が3歳半のときに、耳が聞こえないことがはっきりわかりました。私が5歳のときでした。弟は、大きな物音は多少聞こえるのですが、人が話す言葉は聞こえない。1対1だと、口の形や表情、文脈とかで通じる部分もありますけど、学校の授業で先生が話すことは、言葉として認識できない感じでした。 ── ろう学校に通われていたのですか? 藤木さん:当時、ろう学校は補聴器をつけても音がいっさい聞こえない子が行くところという考え方が強くて。弟は補聴器をつけると、相手の言葉の詳細はわからないものの、結構しゃべれたんです。一般の学校でもやっていけるだろうと判断され、小中は普通学級に通っていました。それが弟にとってはつらい環境だったようで、高校からはろう学校に行きました。
── 障害がわかってから、ご家族に変化はありましたか? 藤木さん:母は専業主婦で子育てにまい進するタイプだったので、弟の子育てにどんどん集中していきました。母と弟は完全に一体化していた感じですね。当時は弟のために家じゅうに張り紙を貼ったり、飛び出す絵本みたいな写真日記を作ったり。そういうことに楽しみを見出していました。あとになって母は、「つらいこともあったけれど、やっぱり成長していく姿を見られたのは楽しかった」と言っていました。
── 小さいころ、弟さんとの仲はいかがでしたか。 藤木さん:仲のいい同級生の友達はいたんですけど、幼少期のいちばんの遊び相手は弟だったかも(笑)。弟と一緒にゲームにハマったり、漫画を読んだり。ケンカもいっぱいしましたけどね。今から思うと、弟は「姉は横暴だ」と思っていただろうな。弟の友達のお姉ちゃんが、優しくてめんどう見がよかったので、親からは「何でうちのお姉ちゃんはこんなに乱暴なの?」と言われていて。でも私は対等に遊ぶというか、いい意味で雑な関係のほうがいいと思っていたから、わかってもらえないなぁと(笑)。