文字の読み書きが困難なディスレクシア、小3で自死を選ぼうとしたことも 「発達障害」「大人LD」の声を社会に届ける当事者が目指す未来
「同行援護従事者」の資格を取得して将来設計が変化
Tenさんにとって、ノートに板書を取ることは難しい作業。母親は友人のノートをコピーさせてもらえるよう、学校側に依頼した。すると、事情を知った担任教師は粋な配慮をしてくれたそう。自身の授業では全クラスのノート提出を廃止にしてくれたのだ。 「代わりに、何を書いてもいい自主学習ノートの提出で成績をつけてくれました。期末試験は日頃行う小テストからも出題してくれ、最低限の点数が採れるようにしてくれたんです」 高校では帰国子女を受け持った経験がある教師が担任になり、漢字の覚えやすい方法を教えてくれた。部活では、ロボット制作に熱中。 将来は、医療系エンジニアになろうか。そう考えるようになった高2の頃、大学のAO入試のために必要だった視覚障害者の外出をサポートする「同行援護従事者」の資格を取得したことで将来設計に変化が。 「講師の話や様々な視覚障害者の方の話を聞く中で、自分も色々な人にサポートしてもらったことを思い出し、障害に関する仕事がしたくなりました」
企業を巻き込んで世の中の“困りごと”を解決したい
「障害」に目を向けるようになったTenさんはアルバイトで知的障害や身体障害、発達障害を持つ人のガイドヘルパーとして一緒に街中へ。すると、飲食店や交通機関、スマートフォンのサービスや仕組みなどを利用する時に困りごとが生じることに気づき、企業を巻き込んで社会を変えていきたいと思うようになった。 「自分も含め、障害を持つ人だって24時間365日福祉の世界で生きているわけじゃない。だから、困りごとを解決するには身近なサービスを提供する企業に現状を伝える必要があると思いました」 熱い夢を持ったTenさんは大学在学中、20歳で起業。試行錯誤しながら、発達障害の人と当事者以外がチームとなり、ひとりひとりが過ごしやすい社会を実現するためのサービスや仕組みを生み出す「ハッタツソン」という共創プログラムを開催し始めた。 「困りごとの会話がないと成立しないイベント。発達障害を理解してもらえないのでは…との不安から健常者とのコミュニケーションを躊躇っていた人からも『対等に話せて嬉しい』と喜んでもらえました」 その後、Tenさんは自身の活動が「障害者支援」や「福祉」ではなく、「インクルーシブデザイン」(※高齢者や障害者、外国籍の方など多様な背景を持つ人々の視点を取り入れたデザイン)と表現できることを教えてもらう。 Tenさんは自治体・企業・制作会社・障害者支援施設などに属する人や障害を持つ当事者などが新しいアクセシビリティ技術に触れて体感できるイベント「アクセシビリティの祭典」に参加し、実際にインクルーシブデザインに触れもした。 2020年7月、Tenさんは自身が立ち上げた企画会社「Ledesone(レデソン)」を合同会社として法人化。発達障害を持つ人が不自由を感じないデザインを提案しながら企業の映像やウェブサイトの制作をしたり講演会を行ったりと、より精力的に活動するようになる。 そんな中、出会ったのが当時、個人でインクルーシブデザインに関する活動を行う文房具メーカーの社員だった。その社員はTenさんが開催するワークショップに何度も参加。後に、会社としてインクルーシブデザインの取り組みを行ってくれ、その一環としてTenさんの会社に発達障害を持つ人の視点を活かした商品開発の相談を行ってくれた。 「Ledesoneとしては、その企業の試作品を発達障害の人に利用してもらい、当事者ならではの課題に製品が活かせるかをフィードバックしました」 企業を巻き込んで社会を変えていこうと奮闘するTenさんは、発達障害や”見えづらい困りごと”の解決を目指して取り組みを行う企業や団体、個人の想いを知ってもらい、社会に浸透させることを目的とした「ハッタツソンフェス」も開催。 「企業が提供する通常の製品・サービスの中には発達障害を持つ方に役立つものもあるので、それらをちゃんと当事者に届けること、そして、どのようにサービスや商品を広めればいいのか悩んでいる企業側の悩みを解決することが私の目標です」