球界から“追放”…NPB失格処分の歴代選手6人
永易将之
投打:右投右打 身長/体重:175cm/73kg 生年月日:1942年1月1日 経歴:大工大高 - 電電近畿 大きな社会問題となった「黒い霧事件」に関わっていた選手が、永易将之だ。 永易は大阪工業大学高校から電電近畿(現:NTT西日本)に入社。都市対抗野球で活躍したのち、東映フライヤーズ (現:日本ハム)に入団した。 1965年は40試合に登板して10勝、防御率1.93をマーク。しかし、その後は成績が振るわず、苦しいシーズンが続いた。 1968年から西鉄ライオンズ(現:西武)に移籍し、移籍1年目は35試合に登板。翌年も32試合に登板する働きを見せていたが、シーズン終了間際になって、永易が八百長に関わっていることが発覚した。 いわゆる「黒い霧事件」の始まりであり、永久追放処分を受けることに。最終的に現役としてプレーした期間は6年間。あまりに大きなインパクトを球界に与え、野球界から姿を消していった。
池永正明
投打:右投右打 身長/体重:175cm/77kg 生年月日:1946年8月18日 経歴:下関商 西鉄ライオンズ(現:西武)のエースとして活躍した池永正明。池永もまた、プロ野球を失格処分となった1人である。 下関商業高校では選抜甲子園制覇を達成。その才能を多くの球団が評価し、読売ジャイアンツや南海ホークス(現:ソフトバンク)など複数球団による争奪戦の末、西鉄の一員となった。 プロ1年目から20勝を挙げる働きで、チームの大黒柱に君臨。1967年には23勝を記録し、最多勝のタイトルを獲得するなど、まさに順風満帆の野球人生を送っていた。 1969年も18勝11敗、防御率2.57と活躍を見せていた池永。しかし、八百長への関与が疑われ、否定したものの「黒い霧事件」に巻き込まれる形で失格処分を受けた。 わずか6年間のプレーで103勝を挙げたが、まさかの形でプロ野球選手としてのキャリアを終えることになった。