「バイクとかパクってええけど、ちゃんと返せよ」辰吉丈一郎の“ナゾの教え”に「アカンやろ」…次男・寿以輝が明かす“辰吉家の超ポジティブ教育”
元WBC世界バンタム級王者・辰吉丈一郎(「丈」の字の正確な表記は右上に点)の次男である辰吉寿以輝(じゅいき)(大阪帝拳)がプロデビューして早9年が経った。90年代に一世を風靡したカリスマボクサーの2世として注目を浴び続ける中、ここまで16戦して無敗、タイトルマッチ挑戦を射程圏内にとらえた。5月18日のエディオンアリーナ大阪第2競技場では、タイの強豪、チャイワット・ブアトクラトックと対戦する。重要な一戦を前に、27歳の独特なボクシング哲学、そして父親との関係について聞いた。(全2回の1回目/後編へ) 【貴重写真】世界王者の父・辰吉丈一郎に抱っこされ…リングでギャン泣きする次男・寿以輝(当時1歳)。「伝説の薬師寺戦」「ママチャリで爆走する辰吉」など貴重写真を一気に見る(全18枚)
辰吉寿以輝が口にした「根拠のない自信」の源泉
「根拠のない自信があるんで」 辰吉寿以輝がそう口にしたのは、けがやコロナ禍で2020年11月から23年8月にかけて2年9カ月、試合から遠ざかったことを話題にしたときだ。嫌になってしまったり、モチベーションが落ちたりはしなかったのか。そんな問いに対する答えが冒頭のものだった。 なら、その「根拠のない自信」はどこから生まれてくるのだろう。寿以輝に畳みかけると、次のようなセリフが返ってきた。 「どっから生まれてくるんですかね(笑)。父親? ああ、親父の遺伝かもしれないです。親父もそういうタイプなんで」 父の丈一郎、そして辰吉家を抜きにして辰吉寿以輝を語ることはできない。「根拠のない自信」の答えを得ることもできない。話は幼少期にさかのぼる――。
「バイクとかパクってええけど、ちゃんと返せよ」
寿以輝がボクシングで世界チャンピオンになろうと決めたのは幼稚園のときだ。そのころの父・丈一郎といえば、1998年にウィラポン・ナコンルアンプロモーション(タイ)に敗れて王座陥落、2002年の復帰戦に向けて長期のブランクを作っていたころだ。寿以輝の「世界チャンピオンになる」という目標は、もちろん父親の影響が大きいのだが、父にあこがれ、父を目指そうという心理ではなかったという。 丈一郎が2人の息子にボクシングをすすめたことはない。基本的には子どもの好きなようにさせる。それが辰吉家の教育方針だった。 「これしたらアカン、あれしたらアカン、というのはなかったですね。悪くもない子を殴るとか、いじめるとか、変なことせんかったらええよって。オカンなんか『どうせ泥棒になるんやったら石川五右衛門くらいになれ。やるなら何億円とかや。それができんなら泥棒なんてするな』みたいな感じです(笑)。親父からは『バイクとかパクってええけど、ちゃんと返せよ』って、謎の訳わからんことを教わりました。いや、アカンやろと(笑)。親が変わりすぎてて、まともになったのかもしれないですね」
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