球界から“追放”…NPB失格処分の歴代選手6人
バール・スノー
投打:右投右打 身長/体重:183cm/85kg 生年月日:1945年2月9日 バール・スノーは現役時代の張本勲が絶賛するほど、活躍を予感されていた選手だった。 アメリカ合衆国出身のスノーは、シンシナティ・レッズ傘下で2年間プレー。ただ、目立った成績を残すことはできず、日本でのプレーを希望して来日した。 1974年に日本ハムファイターズの入団テストを受け、3月26日に加入が決定。エースナンバーの背番号「18」を与えられたように、球団から大きな期待を受けていた。 しかし、二軍での登板を告げられた4月25日に突如失踪。球団の捜索でも見つからず、4月30日に日本ハムから契約解除が申請された。 その後も行方不明の状態が続いたこともあり、1974年5月、NPBはスノーを失格選手とした。結局、1試合もマウンドに上がることなく日本球界を去るという、前代未聞の終わり方となった。
高山忠克
投打:右投右打 身長/体重:177cm/79kg 生年月日:1944年5月18日 経歴:作新学院高 高卒2年目で十分な成績を収めながら、詳細が分からない形で球界から消え去った高山忠克も、プロ野球界から失格処分を受けた。 作新学院高校でプレーした高山は、2、3年時に選抜甲子園へ出場した。 1963年に国鉄スワローズ(現:ヤクルト)へ入団すると、高卒2年目は127試合に出場。打率は.219と苦しい数字に終わったが、18本塁打を放ったように長打力を発揮していた。 1965年以降はレギュラーから外れたものの、毎年90試合前後に出場するなど、一定の出番を得ていた。 しかし、1970年に不振に陥ると、1971年から阪神タイガースに移籍。新天地で再起を図ったが、21試合で打率.097と結果を残せず二軍落ち。 すると、同年7月に選手寮から行方をくらまし、失踪状態に。消息がわからないまま、現役中に失格処分を受けた。
ベースボールチャンネル編集部