【オリエント急行】ヨーロッパの贅を尽くした伝説の豪華寝台列車の「誕生」と「現在」
イギリスで花開いた豪華絢爛なクルーズトレインは一大ブームを作り今も変わらず人々を魅了している。 【画像】イースタン&オリエンタル・エクスプレスの食堂車「アディソーン」。©BELMOND 南アフリカでのサファリツアー付きやパリとベニスを繋ぐ王道ルート、ホテルとセットになった新スタイルも登場。 飛行機を使えば短時間で行ける場所へ、時間をかけて向かうロマンに溢れたトレインジャーニーに出かけよう。 ヨーロッパの王侯貴族や文化人、そして暗躍するスパイたち……20世紀前半、西洋人はこぞって列車で東へと向かった。 贅を尽くした寝台急行の旅を現代人がなぞるとき、それは移動手段を超えて、一秒一秒が唯一無二の体験となる。
究極のスロートラベル「オリエント急行」の魅力
マホガニーやローズウッドの光沢が美しいアールデコ調の壁装飾、純白のテーブルクロスにやわらかな灯りをともすラリックのランプシェード。いまも「豪華列車」と聞いて最初に頭に浮かぶのは、ヨーロッパの贅を尽くした長距離寝台列車、オリエント急行ではないだろうか。 オリエント急行の歴史は、ベルギー人実業家ジョルジュ・ナゲルマケールスが、若き日に訪れたアメリカで世界初の寝台車を体験したことに始まる。東海岸と西海岸を結ぶこの列車には、快適な「プルマン寝台車」が備わっていた。これをヨーロッパから東洋へと走らせる、という発想を胸に、彼はアメリカを後にした。 後に彼は、仏リエージュを拠点にワゴン・リ(正式名称:国際寝台車会社)を設立。1883年、オリエント急行を開通させる。一部フェリーを使いながらも、パリとコンスタンチノープル(現在のイスタンブール)を結ぶ、伝説の豪華寝台列車の誕生となった。 オリエント急行は、瞬く間に上流階級の贅沢な移動手段として人気を博し、彼らの社交の舞台となった。王侯貴族や富裕な文化人たちが、きらめくワイングラスを合わせるなかで、スパイが暗躍する。そんな世界の勢力図を一転させかねない宴が、繰り広げられることもあった。需要に合わせ、ルートもスイスとイタリアを結ぶシンプロン・トンネル経由をはじめ、最盛期には計4本ものオリエント急行が往来していたという。 第二次世界大戦後、航空機の発達により、富裕層の長距離移動は、鉄道ではなく飛行機へとシフトしていく。やがて1977年にオリエント急行は、その歴史に幕を下ろすことに。栄華を誇った車両は売却されて散逸した。しかし、異変は、その5年後に起こった。 オリジナルのワゴン・リやプルマンの車両を買い集め、さらにそれらの製造当時の技術を結集して在りし日の姿に復元、加えてオリエント急行のかつてのルートに走らせるという、一大事業が実現したのである。私財を投じた立役者は、米国人海運王ジェイムズ・B・シャーウッド。かくして、1982年、美しく再生されたオリエント急行は、VSOE(ヴェニス・シンプロン・オリエント・エクスプレス)として新たな命を得たのである。 そして近年、再び「オリエント急行をめぐる世界地図」に、変化の兆しが見られる。2019年、VSOEを運行する英ベルモンド社は、LVMHグループの傘下に入った。一方、仏ホスピタリティグループのアコーは、2022年にオリエント・エクスプレスのブランドを取得したうえ、今年6月にはそのブランド開発を目的として、LVMHグループと戦略的パートナーシップを結んだと報道された。 スローフード、スローライフと、「スロー」の持つ価値が評価される時代、鉄道や船を使った旅行は、究極のスロートラベルだろう。そこに斬り込もうとしているLVMH。鉄道旅のスタイルに、また古くて新しいチャプターが加えられる日も、近いかもしれない。
安田和代(KRess Europe)