’19日章学園/4 情熱 甲子園でも絶対勝つ /宮崎
<第91回選抜高校野球> 日の落ちたグラウンド。畑尾大輔監督(48)はバットを振る選手に身ぶり手ぶり、熱のこもった指導を続けた。吐く息は白い。選手として輝かしい球歴を歩みながら辛酸もなめてきた野球人生。そこから得た信念が自身を突き動かす。 神戸市生まれの熊本育ち。中学の野球部まで「地元のスーパースター」だったが、熊本市の強豪、九州学院高校に進学して鼻をへし折られた。「自分よりはるかにうまい選手が何人もいた」。それから真剣に野球に向き合い、2年の夏は控え捕手として甲子園に出場。レギュラーだった3年夏は熊本大会準決勝で敗れた。 大学野球の強豪、日体大では主に指名打者として活躍し4年秋のリーグ戦でベストナイン。社会人野球の東京ガスに進みアマチュア野球の最高峰、都市対抗も経験したが、出場機会に恵まれず25歳で現役を退いた。 しかし、野球への情熱は捨てられなかった。しばらく社業に専念したが野球に関わりたい思いが勝り、悩んだ末に退職。大学の先輩のつてで日章学園のコーチに就いたのは27歳の時だった。 「教えるのは面白かった。どう教えるか考え始めると夜中でも止まらなかった」。翌年、監督に就任。学校の人事で未経験のバドミントン部監督を務めた時期もあったが、自ら社会人チームの練習に参加して技術を学ぶなど労を惜しまない指導で全国大会に導いた。 野球部監督に復帰していた2010年9月、秋の宮崎大会で忘れ難い敗戦を経験した。相手は現在、プロ野球・ソフトバンクの武田翔太投手がいた宮崎日大高校。「コールドで負けるかもしれない」と半ば諦めていた畑尾監督の予想に反して選手は善戦し、終盤突き放されて0-6で敗れたもののコールドは免れた。 「よく頑張ってくれた」。新チームになって間もない時期だったこともあって安堵(あんど)にも似た思いだったが、試合後に待ち受けていたのは当時中学生だった長男孝輔さん(23)からの叱責だった。「お父さんのせいで負けたんだ」 父の心中を孝輔さんは見抜いていた。「息子にそんなことを言われたのは初めてで驚いた。選手のことを思えば負けていい試合などないと気づかされた」 それ以来、勝利にこだわった。14年夏の宮崎大会決勝で敗れるなど再三甲子園に肉薄しながら、あと一歩で逃し続けた悔しさが信念を一層強固にした。 勝利への情熱は選手にも伝わっている。選抜出場が決まった1月25日、福山凜主将(2年)は言った。「監督を甲子園で勝つ男にする」。隣で聞いていた勝負師の頬が緩んだ。