「おひとりさま」で末期がんと…医療ジャーナリストが体当たりで描く新時代の「闘病記」が示す希望
とはいえ、前立腺がんは比較的リスクの低いがんと言われることが多いが……。 「実際問題、何もしなくてもいい前立腺がんはあるんですよ。3ヵ月に1回検査するだけで薬も何も使わず、経過観察でいいような進行が遅いがんもあるので、メディアなどもよくそうした表現をしますが、前立腺がんが『死なない病気』だと思われてしまうのは問題です。 実際には前立腺がんで毎年約1万3000人が亡くなっているわけだから。 例えば、前立腺がんを患う人が、その後胃がんや膵がんなど、他のがんを患って亡くなってしまう場合、死因はその進行の早いほうのがんになるわけですね。でも、他のがんにならなければ、前立腺がんで死んでいたかもしれない。前立腺がんも人の命を奪う病気であることは間違いないわけで、甘く見るのは絶対に危険です」 ◆「まだ治る可能性があった」 がん発覚後は治療開始となるが、がんの治療法の3つの柱は、「手術」と「放射線治療」「化学療法(抗がん剤治療)」。 長田さんの場合、がんの悪性度を見分ける「グリソンスコア」で、2~10までの9段階(数値が大きいほど悪性度は高い)で「8」と高い数値が出たため、主治医は前立腺の全摘手術を勧めた。 しかし、長田さんは全摘を拒否し、渋る主治医を説得する形で主治医が取り組んでいる最新の治療法「高密度焦点式超音波療法(High Intensity Focused Ultrasound=HIFU)」を選択。 その結果、一時的にはPSAが下がったが、再び上昇、手術を回避できない状況になり、さらに手術の予定日より1ヵ月半前にあたる’21年6月に胸椎と肺への転移が発覚してしまった。それはつまり「完治の可能性はなくなった」ということを示す。 「がん治療でどの治療法を選ぶかは、そのがんが治る段階なのか、残念ながら治らない段階なのかによって、大きく違うんですね。 僕の場合、医師から手術をしましょうと言われたときは、まだ治る可能性があった。ここで手術を受けるべきだったんです。 でも、僕はそこで性機能を温存したいと主張して、あえて超音波治療を選んだ。超音波治療ではがん細胞を十分に焼き切れない可能性があると言われ、それを僕自身も知っていたけれど、性機能の温存にこだわってしまったんです」 非常に残酷な問いと承知の上で、その判断を今どう思うかと聞くと、長田さんは言った。 「僕は当時、超音波治療でも治るつもりでいたから。それに自分が70歳代、80歳だったら性機能にこだわることもなかったでしょうけど、当時は55歳くらいで、前立腺がん患者としてはまだ若かったんですよ。 まして僕はそのとき、2度目の離婚をした直後で、もう1回結婚したいという思いもあったので。離婚からだいぶ経っていたら選択が違っていたかもしれませんが……男の人が性機能を失うというのは、よほどの覚悟がいることだと思いますが、若い前立腺がんの患者さんには治療についてよく考えてほしい。僕はそこで失敗したわけだから」 ◆「テレビドラマみたいなことは全くなかった」 しかし、転移がわかり、完治の可能性がなくなった時点で長田さんが最初に考えたのは、お金の心配だったという。 「『医療費は払えるのか』ということがまずあって、その次が『仕事どうしようかな』で、自分があと数年で死ぬという恐怖はずいぶん後のほうでした。 僕は自営業者だから、取引先に迷惑をかけられないし、働かなければお金が入ってこないし、目先のことのほうが心配ですよね。 自分が死ぬことは自分のことだから後回しできるわけです。それが一番悩んだ点で、テレビドラマみたいに涙を流してみたいなことは全くなかった。僕の場合は幸いにもあまり体力を使わない商売だから仕事が続けられて、ある意味ラッキーだったなとは思います」 長田さんは当時書き始めていた本や請け負っていた特集、続けていた連載をどうするか考え、編集者に相談。医師からはこの先2年程度は普通に過ごせると言われていたため、出張などもこれまで通りこなしている。 独り身のため、住居の問題もあるが、親戚の家に身を寄せる、安いマンションを買ってそこに住むなども検討した結果、編集者たちの勧めもあり、利便性を優先してそれまでの賃貸住宅に引き続き住んでいる。 また、高額療養費制度があるとはいえ、長田さんが’21年に支払った医療費は約150万円にのぼる(詳細は本書を参照)。そんな中、嬉しい「棚ぼた」もあった。