ガザでは3日に一度ペットボトルに水をくんで体を洗い…… 帰国した今も温かいシャワーに罪悪感を覚えてしまう
今回一緒にガザで活動したチームには、私以外にもガザで誕生日を迎えるメンバーが何人かいた。パレスチナの誕生日の歌がおもしろかったことから、チーム内でパレスチナバージョン誕生日ソングがはやって、お互い誕生日にはこの歌を歌ってお祝いしあった。そして、特別な日にはそれぞれ自分の国からガザに持ちこんだ「超貴重品」のとっておきのお菓子やチョコレートなどを分けあった。 私の誕生日当日は、フランス人麻酔看護師がTobleroneのとっておきのチョコをくれて、フランス人コーディネーターはナッツをくれた。この貴重品をもちろんみんなで分けて堪能した。 次の日の11月23日はこのチョコをくれたフランス人麻酔看護師の誕生日だった。私は米アトランタからフルーティーな粉をつけて食べるちょっと面白いロリポップキャンディーを持ってきていた。もともとは現地の子どもたちにあげようと思って持ってきていたが、12~13個しか入っていなかったので、いつも遊ぼうと寄ってくる子どもたちの数には足りない。子どもたちの人数が少ない機会を待っていたがあげられずにいた。そこでチームメイトの誕生日となったのでそのキャンディーを出すことにした。数もちょうどぴったりだった。チームメンバーはそれはそれはめちゃくちゃ喜んでくれて、「こんなにおいしいの、めちゃくちゃひさしぶり!」と子どものように喜んでもらえた。いつも困難な事態の対応に追われ、カリカリしていた強面で気難しいリーダーが一番嬉しそうだった。 ガザでの生活環境についても振り返りたい。 イスラエル軍による報復攻撃が始まったときに元々ガザ地区北部で活動していた国境なき医師団のメンバーは、北部から南部へと避難し野宿生活を強いられるなど、とても厳しい状況も経験したが、私たちは一応、屋根のあるところで寝泊まりすることができた。ガザ入りした直後は、国境なき医師団が運営するハンユニスのクリニック(熱傷の外来診療所)の診療室で寝泊まりした。そこは10月7日以降、医療活動は停止していたクリニックで、石の床に寝袋を敷いて寝起きした。男子は廊下で雑魚寝をしていた。4日目から国境なき医師団が借りた倉庫の上のアパートに引っ越し。生活環境はだいぶ良くなった。フランス人女性コーディネーターと相部屋で同じベッドで横並びに寝袋で就寝。それでもマットレスの上で寝られるのはよかった。部屋はあと二つあって、女子部屋と年長者部屋だった。他の男子7人は居間で雑魚寝だった。