ハコスカとケンメリの偉業【ハコスカ編】今なお旧車の王様として君臨。スカイライン人気を決定づけたモデル「ハコスカ」こと3代目C10スカイライン
【ハコスカとケンメリ|ハコスカとケンメリの偉業 前編(ハコスカ)】 歴代スカイラインでも特に強烈な印象を残し、今も多くの熱狂的なファンを持つのが3代目のC10スカイラインだ。ファンから「ハコスカ」のニックネームで愛され、現役当時を知っている世代の人だけでなく、現代の若者層にも信奉者が多い。 【画像8枚】ファミリーからサーキットまで、多彩なラインアップを揃えたC10スカイライン C10を生み出したのは、ご存じのように旧プリンス自動車工業のエンジニアだ。C10は1968年夏に「ニッサン」ブランドを掲げて登場したが、設計&開発をしたのは東京・杉並区荻窪に本拠を構え、村山に工場を持つプリンス自動車工業の人たちだったのである。 発売の2年前、プリンス自動車工業は日産自動車に吸収される形で合併した。すでに開発は佳境にさしかかっていたが、上層部の判断次第では開発中止、車名断絶もあり得た。だが、紆余曲折はあったものの、細部を手直しし、日産車と部品を共用化して市販にこぎ着けたのである。 生前、スカイラインの育ての親である櫻井眞一郎さんは 「2代目のフィロソフィーを受け継ぎ、存在価値を積極的に出そうと、荻窪(プリンス自動車工業)出身のエンジニアは一丸となって頑張ったのです。出すからには最高のセダンに仕上げようと、シートの表皮にも気を配り匂いや音にもこだわりました。静かにするだけでなく、心地よいエンジン音にしているのです。計器で測れないものを体のセンサーを使い、感覚によって選んでいったんですよ。ドアの開閉音にまで気を配ったのが、3代目のC10でした」と述べている。 最初にG15型直列4気筒エンジンを積むスカイライン1500が発売され、2カ月後に長いノーズにL20型直列6気筒エンジンを収めた2000GTがベールを脱いだ。 4気筒モデルよりプロポーションバランスがよく、インテリアもスポーティーなデザインだったから、クルマ好きだけでなく新たなファン層も獲得できたのである。 4輪独立懸架のサスペンションも魅力的に映った。1970年代までのリアサスペンションの主流は、固定式のリジッドアクスルだ。 だが、2000GTは時代に先駆けてリアをセミトレーリングアームとし、卓越したコーナリング性能と気持ちいいハンドリング特性を実現している。 日本車離れしたダイナミックなデザインに加え、操る楽しさから走りのよさにこだわる人は飛びついた。
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