ハコスカとケンメリの偉業【ハコスカ編】今なお旧車の王様として君臨。スカイライン人気を決定づけたモデル「ハコスカ」こと3代目C10スカイライン
素性のよさに加え、遅れて投入された2000GT-Rのサーキットでの活躍が、好調な販売を後押しする。
こういった素性のよさに加え、遅れて投入された2000GT-Rのサーキットでの活躍が、好調な販売を後押しする。GT-Rはレーシングエンジン直系のS20型DOHC4バルブを積み、2L最強のパワースペックを誇った。 レースでは出場するたびにコースレコードを更新し、連勝街道を突っ走っている。また4気筒エンジン搭載車も、排気量を300cc拡大して余裕を増した1800シリーズを送り込んだ。 2000GTの陰に隠れて目立たなかったが、上級モデルの投入によりバランスの取れた4気筒エンジン搭載車は再び注目を集めている。 このころから「愛のスカイライン」のキャッチフレーズを使うようになり、週末ごとにフェアを開催したことで、知名度は一気に広がった。そして1970年秋、真打の2ドアハードトップが仲間に加わるのである。クーペが持てはやされた時代だったから、一気にブレイクした。 圧巻だったのはHTのGT-Rで、ホイールベースを切り詰め、ボディ剛性がアップしたことでハンドリング特性もより軽快となった。気持ちいいコーナリング性能を身につけ、コントロールできる限界も大きく向上していた。この長所は同じサスペンション形式の2000GTにも当てはまる。この時期になるとL20型エンジンとトランスミッションも洗練度を高めていたから、重い6気筒エンジンを積みながら振り回しても楽しい。 C10系の4気筒モデルと2000GTシリーズは、歴代のスカイラインのなかで最も強烈なキャラクターの持ち主で、強いオーラを放っている。 高い性能を持ち、コマーシャル戦略も奏功した。ユーザーだけでなく、日産の川又克二社長(当時)も気に入っていたようだ。 21世紀の今も多くの人に愛され、慕う人が後を絶たない。その理由は、当時の国産車としてはポテンシャルが驚くほど高く、潜在能力も高かったからである。20世紀の自動車史に残る名車と言えるだろう。
Nosweb 編集部
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