「セクハラ? 僕の記憶には無いですね!」今やっかいなのは「無自覚セクハラ・パワハラ上司」。気づいた頃には「四面楚歌」という地獄に
先週、東京都の女性区議が現職の国会議員から「セクハラ」を受けたことで「告発会見」を開いたというショッキングなニュースが飛び込んできた。令和6年も「ハラスメント」に関する問題が報道されなかった日が、一日もなかった一年になりそうだ。 危機管理コンサルタントの平塚俊樹氏はこう話す。 「コンプライアンスに厳しくなった社会では、これまでの働き方や考え方のシフトチェンジをしなければなりません。ゆえに、企業では頻繁にハラスメントに関する講習が開かれるようになりました。 ただ、困るのは「無自覚パワハラ・セクハラ上司」の存在です。彼らは、ハラスメントはいけないことだ、という意識はあります。ただ、誰から見てもハラスメントと感じられる振る舞いをしているにもかかわらず「パワハラはしていない」「自分は正しいことをしている」と自己認識するのです。 これはかなり厄介な認識であり存在でもあります。そういった方、気づいた時には『四面楚歌』になりますので、ご注意いただく必要があります」 今回は、自身がパワハラ・セクハラをしていたという自覚がなく、ある時、会社での地位を追われることになった会社役員の男性に取材できる機会を得た。
お話を伺ったのは、都内在住の小笠原博之さん(仮名・59歳)。スポーツ用品を扱う大手企業で取締役を務めている。来春、大学を卒業する子どもは外資系保険会社への就職が決まった。やっと肩の荷が降りた、と思っていた矢先に「事件」は起きたという。 「僕は結婚が決まった時、8歳下の妻に仕事をやめてほしいと頼みました。やっぱり、女性は家に入って『家庭』を守るべきなんですよね。僕にとっては、2度目の結婚だったこともあり、そこだけは絶対に譲れなかったんです」 ーその考え方、かなり問題あるように思いますが。 「いやいや、僕が結婚する頃は、男はみんなそう思っていましたよ」 すでにこの考え方が「昭和」だと感じられる方も多いだろう。しかし、当時はまだ「あるあるの考え方」だったようだ。 「1度目の結婚では、共働き夫婦でした。2人とも仕事が好きだったので、そのうち、すれ違いが増えて離婚しました。子どももいなかったので、お互いに納得して割とすんなり別れたんですよ。 今の妻と結婚したのは、25年前です。子どもを2人授かり、下の子は来春、社会人になります。憧れの外資系保険会社に就職が決まって、本人も僕も嬉しくって」 こうして小笠原さんは、2度目の結婚で「理想の生活」を手に入れたと話す。 「仕事は辛いこともたくさんありましたよ。それでもやめなかったのは家族のためです。妻と子どものことを思えば、男なんて24時間、寝ないで働けるんですよ。なんとかここまでやってこられて、ホッとしていたんです」 取締役にまで昇りつめたサラリーマン人生に満足しながら、この後は、無事に定年を迎えることを楽しみにしていたそう。 「リストラなどの嫌な役目もやってきました。僕は、会社から買われている自信もありました。ですから、まだ『この事態』を飲み込めていない…そんな感じです」 小笠原さんに「ある通知」がきたのは、今月に入ってすぐのことだった。 「常務からの呼び出しが『この事態』の始まりでした...。会社にはハラスメントを受けた、見た、聞いた場合に一報を入れられる『ハラスメント相談窓口』があるんです。 信じられない話ですが、その窓口に私に対する相談が来ていると言われました。衝撃でしたね。晴天の霹靂とはこのことです。だって、ハラスメントの相談窓口ですよ?」 内容は、数年前の飲み会で、無理やり小笠原さんの隣に座らされて、お酌をさせられたこと、君ならできるはずだと肩を抱き寄せられたことなどがセクハラ・パワハラに当たると。 小笠原さんにとっては、全く記憶に無いことだらけだったという。