厳しい修業と”以心伝心”で知られる禅宗の仏像はどんな姿をしているのか
バラエティー豊かな禅宗の仏像
「禅宗寺院にまつられる仏像は?」とたずねられたら、みなさんはどのような仏像をまっさきに想像しますか。もしかすると、すぐには思い浮かばない方も多いのではないでしょうか。禅といえば、坐禅をはじめとする厳しい修行の光景は思い起こされても、そこにまつられる像は、と考えたとき、にわかには答えられないかもしれません。あるいは禅に関係する展覧会をよくご覧になる方は、開山や祖師のすがたを写した肖像、いわゆる頂相彫刻を思いだすかもしれません。 これまでの展覧会では、師から弟子へは経典などの文字に頼らない方法、すなわち「以心伝心」によって教えをつなぐという禅宗の特徴を物語るため、たしかに彫刻としては頂相彫刻が重視されてきたように思います。しかし、今回の展覧会『禅―心をかたちに―』では、これまでの展覧会ではなかなか出会うことのできなかった守護神、護法神にもスポットをあてています。これらをみていただければ、禅宗寺院の仏像がきわめてバラエティーに富んでいることに気づいていただけるかと思います。
さて、生活すべてが悟りを得る契機と考える禅宗寺院においては、法堂(はっとう)、仏殿、山門、庫裏(くり)、僧堂、浴室、西浄(せいちん)といったお堂にさまざまな守護神、護法神がまつられています。なかでも、僧堂、浴室、西浄は「三黙堂」ともよばれ、まさに禅の修行を象徴する堂宇(どうう)です。修行僧たちが坐禅を行う僧堂は当然ですが、風呂やトイレ(西浄)もまた、修行の場であったのです。 僧堂は、僧たちの修行の基本となる堂宇といってもよいでしょう。ここにまつられるのが、聖僧文殊(しょうそうもんじゅ)とよばれる僧のすがたをした文殊の像です。通常、聖僧文殊といえばやせた老人のすがたであらわされますが、福知山・天寧寺の像(写真)は若々しくふくよかにあらわされた珍しい例といえるでしょう。展覧会では表面のこまやかな装飾にも注目してください。浴室には跋陀婆羅(ばっだばら)の像が置かれます。これは跋陀婆羅が浴室で悟りを得たという伝説に基づくものです。また、西浄は東司(とうす)ともいいトイレのことですが、ここには烏枢沙摩明王(うすさまみょうおう)がまつられています。これは同明王が、すべての不浄を焼き尽くす力があることによるものでしょう。