<紫龍―愛工大名電・’24センバツ>「OBを超す活躍を」 山崎武司さん、甲子園は憧れ /愛知
センバツに出場する愛工大名電の卒業生で、プロ野球のセ・パ両リーグで本塁打王に輝いた山崎武司さん(55)。「プロ生活27年の原点が名電にある」と語る往年のスラッガーは、自身は届かなかった甲子園で後輩たちが躍動する姿を心待ちにしている。【黒詰拓也】 【写真で見る歓喜の瞬間】歴代のセンバツ覇者たち 愛知県知多市出身。愛工大名電に進んだのは「プロになるなら名電が一番近い」と思ったからだ。名電からは西武や巨人などでプレーし、ソフトバンクの監督も務めた工藤公康さんらが既にプロ入りしていた。「打の名電」と評されていたことも決め手となった。 高校時代の一番の思い出は、当時も今と同じ愛知県春日井市にあった野球部寮での生活という。4人部屋で先輩や後輩たちと寝食を共にした。 1年生の時は洗濯、炊事、風呂を沸かす当番がそれぞれ半月に1回ずつ回ってきて、当番の時は練習ができなかった。「中学生までは『家族がやってくれるもの』と思っていた仕事を通して、親への感謝の気持ちが深まった」。先輩、後輩の上下関係が重んじられ、礼儀やあいさつの習慣も身に付いた。 1年生の時は走ったことしか記憶にない。連日グラウンドを30周走った。3年生が引退する夏まで続いた。あまりの厳しさに同級生がどんどん部から離れていったが、今思えば、足腰が鍛えられた上、厳しい練習に耐え切ったということが大きな自信となった。 「プロに入ってから『我慢強い』とか『根性がある』と言われたのは高校時代の方がきつかったから」。楽天時代の38歳の時に2度目の本塁打王になり、44歳まで現役を続けることができたのは、名電時代の寮生活とトレーニングで心身を鍛えたからだと自負している。 昨秋の愛知県大会準々決勝は、小牧市民球場(愛知県小牧市)まで足を運んだ。試合はエース左腕の大泉塁翔(るいが)(2年)が投げきり、愛産大工を1―0で降した。「絶対に愛知のトップになるという思いを感じ、たのもしかった」と語る一方、甲子園で勝ち上がるには打力が足りないと思った。「今の選手の力はだいたい分かった。冬を越し、どれだけ成長しているか見るのが楽しみ」と語る。 高校時代に56本の本塁打を放ったが、甲子園には届かなかった山崎さん。「自分も高校生の時に甲子園でプレーしたかった」と語り、後輩にこうエールを送る。「勝敗も大事だが、高校時代の努力は野球を続けてもやめても将来生きる。いつか工藤さんや自分、イチローといった名電のOBを追い抜く後輩が出ることを楽しみにしている」 ……………………………………………………………………………………………………… ■人物略歴 ◇山崎武司(やまさき・たけし)さん 愛工大名電では2年の時に主将を務め、正捕手になった。1987年にドラフト2位で中日に入団し、96年に初の本塁打王(39本)に輝く。中日からオリックス、楽天と移り、最後の2年間は古巣の中日に戻り、2013年に現役を引退した。プロ通算1834安打、打率2割5分7厘、403本塁打。楽天時代の07年に本塁打(43本)と打点(108打点)の2冠を達成した。両リーグでの本塁打王は落合博満さん(ロッテ、中日時代)、タフィー・ローズさん(近鉄、巨人時代)に続き史上3人目。今は野球解説者を務める。