「私の祖父もろうの理髪師でした」…作者が「事実」をもとにして描く、「日本初」のろう理容師の真実
取材で出会った人々の思いに触れたことが「思いを繫げる」というテーマに表れていった
──つばめは祖父についての取材を進め、ろう者についての知識を深めていく過程で、ろう者であったために起こった祖母の悲劇を知ります。その悲劇のあまりの重さを前にして、小説を書くことを諦めるべきかと悩んでしまう。でも、それでも……と、自分なりの大義を得て小説と再び向き合っていく。そのプロセスがあったことで、過去を知ること、他者を知ることで己を知る、主人公の成長物語としての側面が色濃くなっていったと思います。 そこは書きようによってはつばめは逃げたんじゃないか、暗すぎるから蓋をしておこうとしたんじゃないかと読み取られかねないなと思い、最後の最後まで細かく手を入れたシーンでした。実は、祖母の「秘密」こそが、物語を具体的に組み立てていくうえでの最初のスタート地点でもあったんです。ろう者の方々が歴史的に被ってきた差別であり悲劇を祖母の「秘密」に閉じ込めたうえで、希望を描きたい。それがこの作品で、作家としてやりたいことだったんです。 ──「秘密」があり、それが明かされるというミステリー的なドラマの中に祈りや願いが込められていたんですね。一方で本作は、ろう者という題材はメジャーではなくマイナーですが、普遍的なテーマにも辿り着いている。言葉についての小説でもあるし、コミュニケーションについて、他者とわかり合おうとすることについての小説でもありますよね。 つばめは作家として、なにを書けばいいのかわからないという状態から始まります。SNSなどで毎日言葉をいっぱい発信している現代人にも、どこか通ずる部分があるんじゃないかと思うんです。伝える技術には長けているんだけれども伝えたいことを見失っているというつばめと、伝わりにくいというもどかしさを抱えながらも、ものすごく伝えたいことがあるろう者の人たちとの対比は、この話のテーマになっているなと思います。
絶望ではなく、喜びを描く
──物語が進んでいくうちに輪郭が浮かび上がっていく、思いが繫がる、というテーマに関してはいかがですか? 「小説現代」の編集長に原稿を読んでいただいた時に、「この話のテーマは、人と簡単にわかり合えない世の中で、繫ぐこととか伝わること、その一瞬の尊さみたいなものですね」と言われ、あぁそうかと自覚した感じです。王道と言えば、王道のテーマですよね(笑)。最近、『鬼滅の刃』の「無限列車編」のアニメを遅ればせながら見たんですが、『音のない理髪店』と一緒のことを言っているなと思いました。思いが繫がっていくこと、その尊さは、みんなが気になるというか、そうであってほしいと願っていることなのかもしれません。 ──思いは往々にして繫がらないものであるという絶望にフォーカスするか、繫がった瞬間の喜びを見るか。この小説は、後者に力点を置いたわけですね。 もちろん暗い部分を描くことを前提としますが、私自身がネアカというのもあって(笑)、取材を通して出会った人々の存在も大きいんです。取材に応じてくださったろう者の方々も私利私欲を超えて話をしてくださる人が多くて、資料もどっさり送ってくださったりする。今も出入りしている手話サークルには、ろう者ではない人たちもたくさん通っているんですが、ろう者を助けたい、支えたいという思いで手話を習いにきているんです。そういう人たちの思いに触れたことが、「思いが繫がる」というテーマに表れていったのかなという気がします。この『音のない理髪店』が、ろう者やその家族友人、ろう理容に関わる人の「思いが繫がる」一助になってくれれば嬉しいですが、とはいえ、小説家としては、読者の方にただ楽しんで読んでほしいというのが本望です。 『音のない理髪店』 大正時代に生まれ、幼少時にろう者になった五森正一は、日本で最初に創設された聾学校理髪科に希望を見出し、修学に励んだ。当時としては前例のない、障害者としての自立を目指して。やがて17歳で聾学校を卒業し、いくつもの困難を乗り越えて、徳島市近郊でついに自分の理髪店を開業するに至る。日中戦争がはじまった翌年のことだった。──そして現代。3年前に作家デビューした孫の五森つばめは、祖父・正一の半生を描く決意をする。ろうの祖父母と、コーダ(ろうの親を持つ子ども)の父と伯母、そしてコーダの娘である自分。3代にわたる想いをつなぐための取材がはじまった……。
吉田 大助(ライター)