「私の祖父もろうの理髪師でした」…作者が「事実」をもとにして描く、「日本初」のろう理容師の真実
歴史そのものを書くのではなく歴史の中にいた個人の物語を書く
──第一章は二〇一三年になったばかりの冬、新人賞を受賞しデビューしたものの三年間次の本が出せず、燻っているつばめのモノローグから始まります。ある日、デビュー版元とは異なる老舗出版社の編集者と会うことになり、ろう者を両親に持つ主人公の物語をかつて構想したこと、祖父母はろう者で、父親はコーダ(ろう者に育てられた聞こえる子供)であることを話します。「祖父は日本ではじめてのろう理容師だったと聞きました」と。徳島にいる祖母とは疎遠で、神戸で暮らす父とは折り合いが悪い。そんな自分がろう者のことや、家族について書いていいものかというつばめの逡巡を受け止めたうえで、編集者は「やはり、おじいさまのことを書かれてはどうでしょう?」と言います。亡くなった祖父の人生を辿ることは、今の自分にとって大きな意味を持つことかもしれない。つばめはまず、父や早逝した母と暮らしていた神戸の実家に足を運び、父と再会し祖父についての話を聞きます。そこから父の回想が始まり……と、つばめを語りに据えた現在パートと複数の人物による回想パートがスイッチしながら物語は進んでいきます。 編集者さんから、百田尚樹さんの『永遠の0』の構造を参考にするのがいいんじゃないでしょうか、とアドバイスをいただいたんです。『永遠の0』のように現代の主人公がいろいろな人に話を聞きに行く今の時間軸と、昔の時間軸を行ったり来たりする構造にすることで、歴史物語という枠組みにとらわれず、過去と現在が地続きであることを強調できるのではないかと思いました。もう一つ念頭にあった作品は、『この世界の片隅に』です(※漫画家のこうの史代さんが「戦争と広島」をテーマに描いた漫画を、片渕須直監督が長編アニメーション化した作品)。あの作品も『永遠の0』と同様に戦争をテーマにしながら、すずさんという主人公の日常を丁寧に細やかに描いている。歴史そのものを書こうとするのではなくて、歴史の中にいた個人の物語を書く。そのアプローチは、私も今回の作品で目指していたところでした。 ──つばめのお父さん、五森海太の回想パートは、自分が小学校に上がるタイミングで家族写真を撮りに行った思い出から始まります。自転車の二人乗りをしているんですが、後ろからエンジンの音が聞こえてくると、ペダルを漕ぐ父の背中をとんとん叩いて知らせるんですよね。〈ありがとう〉と親指を立てて褒められ、海太は父の背中に大きく丸を描く。耳が聞こえないろう者の親とコーダの子供、親子の日常の一コマとそこに宿る双方の感情を、ありありと眼に浮かぶ情景描写で表現されている。最初からグッと作品世界に入り込んでいける感覚がありました。 人が近づいてくる気配とか物が近づいてくる気配を、ろう者の方の背中を叩いて示すというやり方は手話の講座でも習いましたし、親族からも「自転車に乗ったおじいちゃんの背中をよく叩いていた」という話を聞いていました。世の中にはいろいろな小説があると思うんですよね。一人の気持ちをものすごく細やかにたくさん描写をしているものもあれば、私はどちらかというと情景というか、見えるものを映像的に重ねることで人の気持ちを想像してもらいたいんです。