「私の祖父もろうの理髪師でした」…作者が「事実」をもとにして描く、「日本初」のろう理容師の真実
個人を浮かび上がらせるために、さまざまな視点をつくりだす
──海太はつばめに、亡き父の思い出と母に対するわだかまりを初めて語る。その経験を経て父と娘の関係が改善していくプロセスには納得感がありました。その後つばめは手話教室に通いながら、親族や、祖父五森正一が卒業した聾学校の関係者と会い、彼らの人生に触れていきます。とにかく驚かされるのは、回想シーンで採用されている視点の多様さです。子供から見た正一、妻から見た正一、曽祖父から見た正一、理髪科の先生から見た正一……。そのおかげで正一の実像がより立体的に浮かび上がっていくんですが、こんなにもさまざまな視点に入り込むことは必然の選択でしたか? 一人の個人の実像を炙り出すためにもいろいろな視点は必要でしたし、ろうという障害に内包される問題やその中で光ってくる人間ドラマを最大限掘り下げるためには、できるだけいろいろな角度からアプローチする必要があったなと思います。ときには相反する立場の各視点に入り込んで書けるようになるためにも、コツコツと自分の中に情報を溜めていかなければならなかった。時代もかなり幅広く取っているんです。年齢的に戦争を経験している登場人物もいますので、「耳が聞こえない人がどういうふうに戦争と向き合っていたのか?」についても調べる必要がありました。最初の一行をようやく書き出すことができたのは、構想を始めて四年ぐらい経ってからでした。 ──書き出したきっかけは何だったんですか? 具体的なきっかけがあったわけではないんですが、出産を経験したことは大きかったかもしれません。もともとこの小説は親、本人、子供の三世代を書こうと思っていたんですが、自分が実際に親になったことで初めて見えてくる部分がありました。例えば、もしも自分の子供の耳が聞こえなかったらどうだろう、どんな教育を受けさせるのか……と。子供から見た聞こえない親というのは、最初の構想の段階からそれなりに想像できていたんです。耳の聞こえない子供に対する感情は、実生活の変化が役に立った部分もあると思います。