「私の祖父もろうの理髪師でした」…作者が「事実」をもとにして描く、「日本初」のろう理容師の真実
美術業界の裏側を綴った「神の値段」で第一四回『このミステリーがすごい!』大賞を受賞し、二〇一六年にデビューした一色さゆりさんは、大学と大学院でアートを学び学芸員として働いてきた経歴を活かして、アート・ミステリーを数多く手がけていることで知られる。 【写真】事実を基にして「ろう理容師」を描いた小説 最新作『音のない理髪店』は、アートを題材にしてもいなければ、「謎」が掲げられたミステリーでもない。耳が聞こえないろう者の歴史と現実を、一人の人物を軸に描き出す、多彩で多層的な人間ドラマとなっている。 今回は、一色さゆりさんに『音のない理髪店』の誕生秘話をうかがった。 (聞き手・吉田大助) 一色さゆり(いっしき・さゆり) 1988年、京都府生まれ。東京藝術大学美術学部芸術学科卒 業。香港中文大学大学院美術研究科修了。2015年、「神の値段」で第14回『このミステリーがすごい!』大賞を受賞して、翌年作家 デビューを果たす。主な著書に『ピカソになれない私たち』、『コンサバター 大英博物館の天才修復士』からつづく「コンサバター」シリーズ、『カンヴァスの恋人たち』など。近著に『ユリイカの宝箱 アートの島と秘密の鍵』などがある。
これまでとは異なる物語の佇まい、その出発点
──『音のない理髪店』の主人公は、一色さんとほぼ同い年、三〇代半ばの女性小説家・五森つばめです。自分はなぜ小説を書くのか、小説には何ができるのかという問いも作中に充満していますし、主人公が発する「言葉の要らない世界のことを言葉にしたい」といった言葉には、アートを題材にした小説を書き継いできた一色さんならではの気付きが宿っていたのではないか。書き手自身のプライベートな息吹を感じる作品だったのですが、物語の出発点はどこにあったのでしょうか? おっしゃっていただいた通り、『音のない理髪店』は私にとって一番個人的な、特別な作品です。この小説は主人公のつばめが、ろうの理髪師だった祖父の人生を辿っていくお話ですが、私の祖父もろうの理髪師だったんです。人物像や家族構成などは全く違いますが、祖父も徳島にずっと住んでいて、聾学校に新設された理髪科の卒業生第一号だったというのは事実です。作中で祖父は「主人公が生まれる前年に亡くなった」という設定になっているのもその通りで、私が生まれる少し前に祖父は亡くなっています。小説家としては「全部想像で書いた!」みたいなことを言いたい気持ちもあるんですが(笑)、今回の話はかなり個人的な事実から生まれています。 ──一色さんの代名詞であるアート・ミステリーとは、物語の佇まいが異なりますよね。お祖父さまのこと、お祖父さまが営んでいた「音のない理髪店」のことをいつか小説で書きたいと思っていたんですか? デビュー当時はアート・ミステリーを求められていると感じ、まずはその期待に応えたかったんですが、作家としてそれだけを書いていくつもりはありませんでした。講談社の編集者さんと打ち合わせした時にたまたま祖父の話になり、それを小説にしましょう、と。企画が立ち上がったのは六年くらい前なんです。 ──主人公のつばめはろうの世界には全く詳しくなく、祖父の生涯についてもほぼ何も知らない、という状態からのスタートでしたが……。 私も同じでした。書くと決めてからすぐに手話通訳者や要約筆記者の養成講座に通い始め、徳島の聾学校にもお邪魔させてもらいました。今は「徳島県立徳島聴覚支援学校」と改名されているんですが、先生に話を聞いたり、文書館に行って資料を読んだり。そうしたら、学校の倉庫の中に貼られていた年表の最初の方に、祖父の名前が記されていたんです。それを見た時、もしも私が書かなかったら、埋もれていく歴史なんだなということを実感しました。ただ、私はつばめとは違って、親族に話を聞くのはほどほどに留めたんです。あまり聞きすぎると、実際に会って話してもらった事実に沿うようなおじいちゃん像を書かなければいけない、となってしまうかなと。祖父の評伝のようなものを書くつもりはなかった。小説を書きたかったんです。