「保育園に預けられて、かわいそうに…」働く母親を悩ませるデマに喝!元学長の指摘がスカッとした
飢えた人に食べ物を与えるのではなく、魚の釣り方を教えるのが教育だと僕は思います。 人間が生きている現実の社会は、いろいろな制約があり、かなり複雑です。複雑になった社会で生きていくためには、社会のいくつもの前提条件を知る必要がある。だから、育てるのに時間がかかるのです。 「こんなに小さいときから保育園に預けられて、かわいそうに…」。 働くお母さんがよくいわれる言葉です。 「子どもを常時家庭に置いて、母親の手で育てないと、子どものその後の成長に悪影響を及ぼす」という「3歳児神話」は、教育学的な見地からも、脳科学の見地からも、合理的な根拠は何ひとつ認められないことが明らかになっています。3歳児神話は、さながら「3歳児デマ」そのものです。 既に1998年の厚生白書が、「母親が育児に専念することは歴史的に見て普遍的なものでもないし、たいていの育児は父親(男性)によっても遂行可能」と指摘して、3歳児神話を退けています。
【厚生白書の論旨】(一部抜粋) 「母親と子どもの過度の密着はむしろ弊害を生んでいる、との指摘も強い」。 「欧米の研究でも、母子関係のみの強調は見直され、父親やその他の育児者などの役割にも目が向けられている」。 「特定の者との間に『愛着』関係が発達することは大切である。しかし、この基本的信頼感は、乳幼児期に母親が常に子どもの側にいなければ形成されないというものではない」。 「保育所や地域社会などの支えも受けながら、多くの手と愛情の中で子どもを育はぐくむことができれば、それは母親が一人で孤立感の中で子育てするよりも子どもの健全発達にとって望ましい」。 「子育てに他人の手を借りずにすべてを自分でやり遂げるということだけが子育てにおける親の責任の果たし方ではない」。 ● 昔から子どもは 「集団保育」が基本だった ホモ・サピエンス(現生人類)の20万年に及ぶ長い歴史をみると、子どもは集団保育が基本であることがわかります。 京都大学の前総長で霊長類研究の第一人者、山極壽一教授は、人間は共同養育をするように進化してきた種であることをずっと昔から主張されています。