明治神宮外苑の再開発 大手デベロッパーの「ありきたり」にウンザリ 今の東京に必要なワクワク感を生むのに最適の人物とは?
ノーベル賞級のまちづくり
これまでにも述べてきたように、人類は都市化する動物である。しかも加速度的に都市化する。グローバル化する現代は激しい都市化の時代であり、世界各国が、より高度な都市化への競争をつづけている。その都市化する空間の先端にブランド商品の店舗が並び、その消費が世界経済の大きな部分を担っているのだ。 一方で、人間はその都市化に対するルサンチマン(怨念)を抱く。都市の変化についていけない自分を感じ、昔ながらの自然と文化への懐旧の念をもつ。都市化に対する反感は人間の本能的な情緒であり、自然と文化はその点で同調するのである。僕自身、ブランド商品とは縁がないので、高級ブランドの店が並ぶ街並みに、嫉妬に似た反感をもつ。 また、現代は、温暖化ガスによる異常気象の問題がクローズアップされ、人間の都市化そのもの、文明そのものが批判されている。その批判は正しい方向だ。しかしすでに都市化された地区におけるより高度な再開発が、温暖化ガスを増やすとはいいにくい。むしろ文明生活を維持したまま、都市人口が周辺地域に移動すること(たとえば高度成長期に見られた郊外への無秩序な開発)の方が、自然破壊と自動車交通の増加などによって、温暖化ガスの排出を増加させる傾向にある。問題は東京の再開発よりアマゾンの森の開発なのだ。その上、再開発プロジェクトによって自然が増える方向であれば、反対の理由は弱くなる。 しかしそれでも僕は、現在の神宮外苑の再開発計画に賛成する気にはなれない。 その理由は、問題の焦点となっている樹木の伐採という自然破壊よりも、文化破壊の問題である。もはや大手デベロッパーによるありきたりの都市再開発にウンザリしているからだ。故坂本龍一氏や村上春樹氏の反対に同調したくなるのもその点である。馴染みのある外苑の意味深い風景が、よくあるビル街の無意味な景観に変わることが嫌なのだ。 村上春樹氏の小説は「街」と「人の意識(無意識)」の関係をテーマにしたものが多い。主人公が街をさまよう小説といってもいい。彼が訳したサリンジャーの『キャッチャー・イン・ザ・ライ』は、ドストエフスキーの『罪と罰』と並ぶ、都市彷徨小説の金字塔である。いっそのこと、村上さんに再開発構想に加わってもらったらどうか。最新作の『街とその不確かな壁』を軸に考えてもらってもいい。 彼に見合う建築家の協力も必要だろう。僕のイチオシは妹島和世さんだ。建築界のノーベル賞とされるプリツカー賞もとっている。村上さんは常にノーベル賞候補である。 突飛な発想だが「村上春樹+妹島和世」ならノーベル賞級の街づくりができるに違いない。今の東京に必要なのは、このワクワク感だ。 街の壁は不確かな方がいい。確かすぎると収容所になる。 人の壁も、企業の壁も同じだろう。あまり確かすぎない方がいい。