明治神宮外苑の再開発 大手デベロッパーの「ありきたり」にウンザリ 今の東京に必要なワクワク感を生むのに最適の人物とは?
それ以前に二つの反対
近年、この地域において、二つの建設反対運動があった。 ひとつは、東京オリンピックにおける同じ神宮外苑の新国立競技場の建設である。当初は大規模な国際コンペ(設計競技)が開催され、イラク出身イギリス在住の建築家ザハ・ハディド氏によるダイナミックな案が採用された。あまりにも大胆な形態であることから実現しないことの多かった彼女の建築が東京の中心部に実現すれば、現代建築のメルクマールとなることは確実だと思われた。しかし規模が大きすぎて周囲の環境に与える影響が大きいことから反対の声が上がり、また大幅なコストアップが問題となって、マスコミと「世論」が炎上して収拾がつかず、コンペのやり直しという結果となった。 最初のコンペの審査委員長であった安藤忠雄氏まで批判されたので、旧知の仲であった僕は彼の責任ではない旨の手紙を書いたところ、すぐに謝意を表する電話をくれた。反対運動に火をつけたのが東大建築学科における安藤氏の前任者であり、その弟子たちが安藤批判の先頭を切っていたので、建築界には「東大の内紛だ」という声も上がっていた。「変な奴が入ってきたと思われとったんやろな」とは安藤さんの言葉である。 結局のところ、安倍元首相のテレビ会見を経て、2回目のコンペとなり現在の隈研吾氏の案に決まったのだが、このコンペではゼネコン(大成建設)が大きな役割を果たした。文科省の影響下にあるスポーツ庁から首相官邸に実権が移り、元建設官僚で首相補佐官になっていたI氏の主導となった時点でこの路線が敷かれていたという説もある。(参照・森山明子・若山滋共著『オリンピックのデザインと政治学』朗文堂2016年刊) 周辺環境の問題から反対運動が始まったのであるが、東日本大震災の復興で建設費が上がったこともあり、政治的な権力闘争も絡んだ結末となった。ザハ氏の世界的な注目を集める野心的な設計から、隈氏の日本的な調和を重視する設計に変わったのは、「世論」と、マスコミと、政治権力、その三つ巴の力学が作用した、いかにも日本ムラ社会的な解決であった。しかし海外の建築家と文化人のあいだでは、日本という国が、国際的な公約より国内の政治事情を優先することが批判されている。今後、このダメージは、ボディブローのように効いてくるだろう。 もうひとつの反対運動は、港区による南青山の児童相談所を中心とする福祉施設の建設に対する反対運動である。 この地域は、南青山でも、高級ブランド店が並ぶ屈指の商業地である。近隣住民の反対理由は、問題を抱えた児童の施設がこの地域のブランドイメージにそぐわず、地価の下落にもつながりかねないというものだ。 そしてこの反対はきわめて評判が悪かった。インターネットを中心に、高級住宅地に住む人々の、上から目線のワガママによる反対だという意見が圧倒的に多かった。結果としてこの施設は予定通り建設された。新国立競技場のケースとは違って、反対派が「世論」に敗れたのだ。 たしかに、さほど具体的な迷惑がかかるとも思われない福祉施設の建設に反対するのは住民のワガママと見える。しかしこのプロジェクトを都市論的に考えると少し違った見方もできるのである。 どこの大都市にも高級ブランド店が並ぶ有名な通りがあるものだ。パリのシャンゼリゼ、ニューヨークの5番街、ロサンゼルスのロデオドライブ、東京の銀座通りなどはもはや古いイメージで、世界の大都市にそういった通りが続々と現れ、実際に大きな消費が生まれている。 問題の施設の敷地は、表参道から南青山へと続く世界でも有数の、得難い商業地であり、そこにそういった福祉施設をつくるべきかどうかは、はなはだ疑問なのだ。高級住宅地の住民の反対となると、ある種の嫉妬も絡んでワガママと批判されるのであるが、資本主義化における都市計画行政という点で考えると、この計画自体が、社会主義国によくある都市経済の実情に反するものだといえないだろうか。 結局、二つの反対運動は「世論」が結果を左右した。しかし僕は、具体的な建築プロジェクトに「世論」が動くと、政治化した乱暴な力がはたらいて、あまり良い結果にならないと考えている。世論と政治は、素晴らしい街と建築の空間をつくりたいという計画者や設計者や技術者の熱意と感性と努力を押しつぶすものだ。