MAZDA757/767【7】787Bによる念願のル・マン制覇へとつながる道。「クラスの時代」から「オーバーオール」の時代へ
日本の自動車メーカーにとって「ル・マン」は大きなあこがれ、目標だった。まだ、世界の頂点すら見えない時代から、いつかはル・マンの思いを抱き続けてきた。そしてその思いを諦めることなく、自分たちの力で出来る範囲で追い続けてきたのがマツダスピードとマツダだった。1973年に始まるル・マンへの挑戦、その転換点はマルチローター化だった。 【画像14枚】日本の自動車メーカーの夢でもあった「ル・マン」挑戦の転換点となったマツダ 【MAZDA757/767 Vol.7】 なお、3ローター13G型、4ローター13J型のエンジン名称は、基本となる2ローター13B型系列であることを示し、マツダワークスとして限定的に使用(開発)する段階で使われたが、ほかへの供給、あるいは開発が一段落した段階になると排気量を示すR20B型、R26B型へと表記を変えている。また、型式名先頭のRはレース用を示し、量産車(ユーノス・コスモ)用は20B型と表記された。 この767もマツダの例(?)に漏れず、投入初年度の88年ル・マンではトラブルに苦しめられ、サポートとして送り出した3台目のロータリー、旧型の757がクラス優勝を果たす「不幸中の幸い」現象が起きていた。 しかし、翌89年には対策進化型の767Bを3台準備。767のトラブルシューティングに加え、エンジンパワーの強化を図ったモデルで3台が揃って完走。総合7、9、12位に入りIMSA-GTPクラスの1~3位を独占する見事な戦績を残したが、グループCカーと同等の性能を目指した車両としては手放しで喜べず、スピード不足が目についていた。 そして、完全リニューアルの次世代モデル、90年に投入した787を経て、91年、787Bによる念願のル・マン制覇へとつながっていくことになる。 長らく続いた13B型2ローターによる「クラスの時代」から、意欲的に「オーバーオールの時代」を目指した転換点のモデル、それが3ローターの757、そして757を発展させた4ローターの767だった。
Nosweb 編集部