チャージカラーの767Bでフォーメーション走行を展開。マツダカラーの白地にブルーが1台ないし2台、そしてチャージカラーが1台という布陣だったが、例外的に2台がチャージカラーとなることもあった。この時点で、後にル・マン優勝車カラーになるとは誰も想像できなかった。(Nosweb.jp)
MAZDA757/767【7】787Bによる念願のル・マン制覇へとつながる道。「クラスの時代」から「オーバーオール」の時代へ
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