いつの間にか「周りが気にならなくなる」“本当の自分”を生きる禅の練習 人間関係がよくなる“話し方”“聞き方”のコツ
「観音」とは、相手の心の声を聞くという意味があります。 つまり観音様とは、相手の心のうちを推し量り、悩みに耳を傾ける仏様のこと。それ以外何かをしてくれる仏様ではないのに、日本で一番慕われている仏様でもあります。 観音様が体現しているものを、禅では「同事(どうじ) 」といいます。 これは、相手と同じ立場に身を置き、喜びも悲しみも自分のものとして理解する、という意味です。 例えば、親友が仕事で失敗して落ち込んでいるとき、無責任に「大丈夫だよ」などと慰める前に、やることがあります。
それは、「自分なら、こんなときどんな言葉をかけてもらいたいだろう」 と、相手の心のうちを想像することです。また、相手の話を遮らずに最後まで聞くことも大切ですが、 ・「おれだって、そんな目にあったら落ち込むよ」 ・「あんなに頑張ってたのに、辛いよな」 などと、ときに共感したり、ときに言葉を補ってあげるのも聞き役の務めでしょう。 そうして相手の気持ちを我がことのように感じていると、相手も「こんなに親身になって話を聞いてくれるなら」と警戒を解き、本心を打ち明けてくれるときがやってくるかもしれません。
しかし、人の心というものは、他人が思うようには動かないものです。聞いても聞いても本心がわからず、もどかしく思うこともあるでしょう。 それでも、焦りは禁物です。「人間とは、そういうものだ」「人に簡単に話せる悩みなら、とっくに解決している」と思うぐらいで、ちょうどいいと思います。 善意から何かアドバイスをしたいと思ってもこらえてください。繊細なあなたなら、身に覚えがあるかもしれません。 「話を途中で遮られると、うんざりするな」「自分の意見を押し付けてくる人とは、距離を置きたい」
人が悩んでいるとき求めるのは、ああしろ、こうしろと解決策を上から押し付けられることではなく、「今、この瞬間」の自分が理解され、受け入れられることではないでしょうか。 ■自分で答えにたどり着くのを待つ おのれの欲せざるところ、人に施すことなかれ。 あなた自身にも、人からされて嫌だったことがきっとあるでしょう。 それを「しない」と心がけるだけでも心と態度は変わります。 それに、人々が自らの悩みについて話すときというのは多くの場合、はっきりした形ではないにせよ、ある程度の「答え」を持っているものです。