いつの間にか「周りが気にならなくなる」“本当の自分”を生きる禅の練習 人間関係がよくなる“話し方”“聞き方”のコツ
それに、相手が10人いたら10人の異なる自分を演じないといけないのだとすると、人生はあまりにも窮屈です。繊細で、周囲の目を察知するアンテナが敏感な人なら、なおのこと。生きているだけで心をすり減らしてしまうはずです。 ときには、ありのままの自分をさらけだす時間を持つことです。 ■仮面をかぶらない方がいい 「明歴々露堂々(めいれきれきろどうどう)」という禅語があります。 すべてが隠すところがなく、明らかに現れている、という意味です。
思えば「自然」とはまさにそのようなものです。野山に生きる動物たちは、あるがままの姿で、そこに生きています。 人間もそのように、ありのままの姿で生きたらいいのです。 おそらく、私たちが仮面をかぶるのは「いい人」と思われたいからではないでしょうか。 悪く思われたくない、人間関係のストレスを回避したい。そう考える人が性別や年齢を問わず増えている印象があります。 確かに、仮面があることで避けられるストレスは少なくないと思います。ですから、私も、仮面をすべて捨てよと申し上げるつもりはありません。
ですが、いい人の仮面をかぶっていると、いよいよ自分の露(ありのままの姿)が出せなくなります。 素直な感情が出せないのですから、心は死んだも同然。 また相手の顔色をうかがうばかりで、他人にとって「都合のいい」人になってしまっては、自分自身の人生を生きることができません。 人間関係のストレスを回避しようとするあまり、別のストレスを抱え込むことになるのです。 「それで人に好かれるなら構わない。何事もなく過ごせるなら、それでいい」と、繊細なあなたは言うかもしれません。
しかし、仮面をかぶるということは、相手次第で態度を変えるということ。そんな人が本当に愛され、信用され、いい人間関係を築けるでしょうか? 少しずつで結構です。 「いい人」の仮面を脱ぎ、ありのままの自分を生きる練習をはじめましょう。 学校や会社では露になれないというなら、家族を前にしたときだけでも心を開いてみてはどうでしょうか。 長い間寝食を共にしながら、隠そうとしても隠しきれないものがある、それが家族というものです。