「ステージ4の膵臓がん」父が沖縄で子に見せた姿とは?ー亡くなる13日前に敢行した7日間の大移動ー
「たしか2日目のことだったと思うのだけど、私が稲本さんの尿パッドの取り替えをやっているときに、奥様が手伝ってくれようとしたんです。すると、稲本さんは、“プロに任せなさい”っておっしゃった。私たち看護師の仕事に対して気を使ってくれているんだなって感じましたね」 もうひとつ印象的だったのは、ホテルのテラスから、海を眺めている稲本さんの姿です。本当に幸せそうに、ずっと眺めていらっしゃった。家族と沖縄に来ていることを、噛み締めているような表情でした」(豊里さん)
沖縄にやってきたものの、海に行ったり、観光地巡りをしたりする体力は、秀俊さんには残っていなかった。それでも、ホテルのレストランに家族で行き、自分は少ししか食べられない中、娘や妻が楽しそうに食事をしている姿を、見つめていた。 愛里さんは、少しでも観光気分を盛り上げてもらおうと、ホテルで行われているフラダンスショーをスマホの動画で撮影して、それを見せたりした。 「細山さんには、向こうにいる間にも本当にお世話になりました。夜中も時々様子を見に来てくれるし、オムツ替えとかも、やってくれたんですよ」(愛里さん)
前半の2日間は何事もなく過ぎたのだが、後半に入ったくらいから、秀俊さんの容体に変化が現れ始めた。細山看護師の説明。 「尿の量も少なくなってきました。一時は血圧も50くらいになることもありました」 「もしかしたら帰ることができないかもしれない」。細山看護師は、秀俊さんがそのような状況であることを家族に伝えた。愛里さんは次のように語る。 「でも、沖縄で亡くなった場合、死亡診断書を書いてくれる医師がいません。訪問看護はお願いしたけど、お医者さんまでは探せてなかったんです」
■強がりな父の「帰る力」 細山看護師と、ひまわり訪問看護ステーションの豊里看護師が一肌脱ぐことになる。 「私がいつもお世話になっているクリニックの先生にお願いしてみました」(豊里看護師) 状況を説明すると、60代のその男性医師は「とにかく容体だけでも見てみましょう」と快諾してくれたという。付き添った家族で、沖縄で最期を迎える準備を始めるための話し合いもしていた。そうなれば、ホテルに滞在し続けることは予算的にも不可能だ。愛里さんはネットでウィークリーマンションを探し始めていたという。