「ステージ4の膵臓がん」父が沖縄で子に見せた姿とは?ー亡くなる13日前に敢行した7日間の大移動ー
滞在最終日、帰宅のための船や新幹線はすでに押さえてある。それを一旦キャンセルするべきか。判断は医師と、なにより秀俊さん本人に委ねられることになった。意識レベルが下がり、ずっと目を閉じているような状態の秀俊さんだったが、医師が訪ねてきたときだけは、少しだけ目を開いた。 「そういうときって、父は性格的に強がるんですよ。意識がぱっとして、普通に元気な感じで先生と話し始めました。その様子を見て先生も“これなら大丈夫”と言ってくれました。父もその言葉を聞いて自信が出てきたみたい」(愛里さん)
自宅にいる頃は、食欲がほとんどなかった秀俊さんだったが、沖縄に来てからは、沖縄で行きつけのお店のタコスやソーキそばなど、沖縄グルメに舌鼓をうった。短いけれどもそうした日々が「帰る力」に繋がったのかもしれない。 ■ジューシーのおにぎり 「これだったら帰れそうだ。だけど、一日でも早く帰ったほうがいい」 これが医師の判断だった。 帰る日の当日。フェリーの関係で、ホテルを出るのは朝の6時だった。その時間、ホテルのレストランはまだオープンしていない。
「後半の2日間滞在したのは、それまで家族で何度も泊まったことのあるホテルです。父はここの朝食が大好きでした。最後にそれが食べられないことが心残りだったようです」(愛里さん) 朝食を食べる時間がないことを出発の前日、ホテル側に伝えると、家族分の朝食をお弁当にして用意してくれていた。 「父の大好きなグアバジュースも入れておいてくれました」(愛里さん) 出発に合わせて、ひまわり訪問看護ステーションの豊里看護師も見送りに来た。
「私にとっても、すごくいい経験でした。どうしても見送りがしたかったし、渡したいものもあった」と豊里看護師は語る。 ホテルのスタッフに渡されたお弁当を携え、稲本家一行は介護タクシーに乗り込んだ。 「豊里さんとは、そこで一旦お別れしたんですよ。ところが、フェリー乗り場に到着したら、豊里さんが車で追いかけてきて、乗船ギリギリに、はいこれ、お土産って言って沖縄名物のジューシーおにぎりを届けてくれたんです」(愛里さん)