「ステージ4の膵臓がん」父が沖縄で子に見せた姿とは?ー亡くなる13日前に敢行した7日間の大移動ー
ジューシーとは沖縄の郷土料理だ。甘辛く味付けした混ぜご飯である。 「恩納村の宜野座商店っていうお店のジューシーがね、とびきり美味しいんですよ。どうしてもそれを届けたくて、開店時間を待って買ってからフェリー乗り場に行ったんです」(豊里看護師) 帰りのフェリーの中で、ホテルが用意してくれたお弁当と、豊里看護師が届けてくれたジューシーおにぎりを広げて、皆で食べた。秀俊さんも、少しずつだけど、食べることができた。
■家族の献身が生んだ奇跡 自宅に帰り着いたのは、翌日の夜遅くだった。その13日後、稲本秀俊さんは53年の生涯に幕を閉じた。細山看護師は言う。 「診療情報には、手術や抗がん剤などいつ手術をし、いつから抗がん剤の治療を開始し、など多くの治療の経過がありました。秀俊さんとご家族は何度願い、何度苦しんで悲しんできたのだろうと。 秀俊さんに寄り添い、ご家族も支えたい気持ちがとても強くありました。秀俊さんが食べたいと言ったアメを沖縄中のスーパーに電話をかけて探す娘さんたち。長旅で疲れているのに、眠らず夫の秀俊さんの苦痛のある箇所をずっとさする奥様。体が辛い中でも、家族を気にかける秀俊さん。本当に素敵なご家族なんです。
ご自宅に無事戻ってきたときの達成感のような、安堵のような、秀俊さんの笑顔は今でも忘れられません。旅は戻ってくるものなのだと、秀俊さんに教えていただきました」 【2024年6月3日14時45分 追記】初出時、記述に不正確な部分がありましたので、一部を修正しました。 家族の献身的な姿が、多くの人の心を動かし、たくさんの奇跡を生んだ。父親との最後の旅行について語りながら、愛里さんは何度も涙を浮かべた。でもそれは、悲しい涙ではないように見えた。
豊里看護師と細山看護師、そして愛里さんは今でも連絡を取り合う仲だ。そんなかけがえのない関係も、秀俊さんは残した。やはり、この沖縄旅行は、家族に対する父親の最後のプレゼントだったのである。
末並 俊司 :ライター