<戦後80年>私たちは何を学ぶべきか―日本の戦争と戦後を振り返る記事6選
明治版「防衛3文書」から見る日本人の〝精神主義〟満州事変に至る道 大日本帝国陸軍の素顔(1)(2022年12月6日)
明治維新以来、日本にとって最大の安全保障上の脅威はロシア帝国であった。日露戦争(1904~05年)はその宿敵を打ち破り、日本を一躍列強の一員に押し上げた転機となった。しかし、帝国陸海軍が安全保障に関して安息することはなかった。 日露戦争後、帝国陸軍は戦後の内外情勢に対応すべく新しい安全保障政策を模索することになる。陸軍が憂慮していたのはロシアとの再戦であった。特に陸軍長老の山県有朋はロシアの復仇戦を恐れていた。山県は日露戦争を参謀総長として指導した経験から、戦争末期、日本の戦力が限界に達していたのに対し、ロシアにはまだ余力があったこと、したがって勝利が薄氷を踏むようなものであったことを良く理解していたのである。 山県の主導の下、1907年、陸軍は海軍と合同で『帝国国防方針』を策定する。同方針は国家戦略・軍事戦略の概略を定めた「日本帝国ノ国防方針」、作戦用兵の基本方針を定めた「帝国軍ノ用兵綱領」、そのために必要な兵力量を定めた「国防ニ要スル兵力」の三文書から構成される。この『帝国国防方針』策定までは、日本は国家戦略としての安全保障政策を持っていなかった。その意味で、同方針の策定は時宜を得たものだったと言えるだろう。 【つづきはこちら】 明治版「防衛3文書」から見る日本人の〝精神主義〟 満州事変に至る道 大日本帝国陸軍の素顔(1)
大谷翔平活躍の中、なぜアジア人差別が横行するのか100年続く米国の病「黄禍論」(1)(2022年10月28日)
エンゼルスの大谷翔平選手の活躍に、米大リーグは沸いている。大リーグの歴史は人種差別の歴史とは無縁ではないが、彼の桁違いの活躍を、人種を超えて皆が絶賛している。ただ、球場の外ではそのような訳にはいかないようだ。コロナ禍において、米国全体で「アジアン・ヘイト」の嵐が吹き荒れている。アジア人というだけで、ただ信号待ちをしていたり、地下鉄構内を歩いているだけで、殴られたり蹴られたりするのである。散歩していただけなのに突き飛ばされて命を落とした人までいる。ただ、このようなアジア人差別はコロナ禍を原因として最近始まったことではない。 19世紀末の欧州で誕生した黄禍論という考えがある。欧州の人々から黄色人種と呼ばれた日本や中国といった東アジアの人々が、その数に任せて白人国に襲い掛かり、世界の覇権を握るのではないかという説である。注目すべきは、そのような考えが、欧州列強が無敵であった19世紀末に登場したことだ。そこには1冊の書物と2人の人物が大きな役割を果たしていた。 1冊の書物とは、1893年に出版されたチャールズ・ピアソンの『国民の生活と性質』である。西洋文明が世界を席巻していた19世紀末に、西洋没落論を唱えて大評判となった書物だ。ピアソンは、英オックスフォード大学で学びロンドン大学キングスカレッジで現代史を講じた歴史家で、後に豪州に渡って文部大臣も務めた人物である。この書物の中でピアソンは、これまで白人によって虐げられてきた有色人種が、近い将来、欧州を追いやるようになると主張した。彼が特に危惧したのは、中国の人口の多さであった。豪州における中国人の急増が彼に危機感を抱かせていた。中国がその人口の多さを伴って軍事大国化して欧州にとって脅威となるというのである。 【つづきはこちら】 大谷翔平活躍の中、なぜアジア人差別が横行するのか 100年続く米国の病「黄禍論」(1)