「昼寝うさぎ」が引き起こした福島甲状腺検査の過剰診断問題。専門家が語る「甲状腺がんの自然史」【上】
◆昼寝うさぎが引き起こした過剰診断問題
ーー米国甲状腺学会雑誌「Thyroid(サイロイド)」にも掲載されていますよね。髙野先生の「芽細胞発がん説」とはどのようなものなのでしょうか。 例えば大腸がんでは、正常細胞が腫瘍化し、良性腫瘍、早期がん、進行がん、転移・浸潤と段階を踏んでいきます。このような流れを「多段階発がん説」と言いますが、甲状腺がんでは多段階発がん説は通用しないと考えています。 芽細胞発がん説では、甲状腺がんは幼少期にしか存在しない胎児性細胞から発生します。このような細胞は本来5歳くらいまでに消失するのですが、何らかの原因で消失しなければがんの発生のきっかけになります。 甲状腺がんの発生原因となる胎児性細胞には、性質の異なる2種類があると推測されています。それは、甲状腺幹細胞と甲状腺芽細胞です。 幹細胞から発生した腫瘍は際限なく増殖するため、先ほど申し上げたリーサルキャンサーになります。一方、芽細胞から出たものは転移・浸潤はするものの増殖に限界があるため、患者を殺さないセルフリミティングキャンサーとなります。 20年以上前から芽細胞発がん説を考えていたため、甲状腺がんの性質をうまく説明できない多段階発がん説を軸とした医療を続けていれば、「何か患者に対して悪いことが起きるのではないか」と思っていました。 そして、実際に起きてしまったのが、「昼寝うさぎ」が引き起こした福島甲状腺検査の過剰診断問題です。 想像になってしまいますが、福島の甲状腺検査を計画して開始した人たちは、甲状腺がんの発生メカニズムを多段階発がん説で考えていたのではないでしょうか。 小児の甲状腺がんは100万人に数人と言われており、多段階発がん説では甲状腺がんは中年以降、甲状腺の正常細胞が徐々に悪性化して発生すると考えられていたので、子どもたちを対象に検査してもがんは見つからないと予想していたのでしょう。 しかし検査をしてみると、当初から数多くの子どもたちが甲状腺がんと診断されました。検査を始めた人たちからすると、予想外の出来事だったのではないかと思います。 ーー芽細胞発がん説は医師の間で一般的に浸透しているものなのでしょうか。 発表から20年以上経ち、すでに多くの一流学術誌で解説されていますので、甲状腺がんの研究者には広く知られています。しかし、残念なことですが、国内の学会ではタブー視されているのが現状ではないでしょうか。 芽細胞発がん説に触れれば、福島の甲状腺検査の問題に言及せざるを得ないからです。ただし、最近では国際的な理解も進んできており、例えば甲状腺がんの最初の発生は幼少期であることに反対する人は少なくなってきたように思います。 芽細胞発がん説と多段階発がん説では甲状腺がんへの向き合い方が全く異なります。 芽細胞発がんの場合は良いものが悪いものに変化することはありませんが、多段階発がん説では良性のものでも放っておいたら必ず悪くなるため、早期診断・早期治療が絶対に必要だということになるのです。そこが大きな違いです。 芽細胞発がん説の理論は、甲状腺がんの実験的・臨床的エビデンスを矛盾なく説明できるように考えて構築されたものです。セルフリミティングキャンサーの存在が確認されたことなどが典型例ですが、理論が正しいことが疫学的に証明されるようになってきたのです。