「海に眠るダイヤモンド」で描かれなかった軍艦島・最後の10年…ヒロインが「廃墟じゃない」と言った理由
好評のうちに完結した日曜劇場「海に眠るダイヤモンド」(TBS系)。舞台となった軍艦島こと長崎県の端島は、1974年に炭鉱の島としての役割を終えた。過去に軍艦島で取材を行った風来堂は「ドラマでは閉山までの10年間は詳しく描かれなかったが、小中学校で生徒が人文字を作るなど、島の人々は暮らした島との別れを惜しんだ」という――。 【写真】軍艦島の閉山前年秋に撮影された、端島小中学校校庭のお別れの人文字 ■昭和40年代、「新坑」で未来が見えた矢先に決まった閉山 12月22日に最終回が放送されたTBS日曜劇場「海に眠るダイヤモンド」。2時間スペシャルの中で描かれた、神木隆之介が一人二役を演じた「鉄平」と「玲央」の関係について、衝撃の事実に驚かされた視聴者も多かっただろう。 最終話で描かれた端島は、1965(昭和40)年から。閉山のちょうど10年前だ。ストーリー上の「まさかの結末」は本編に譲るとして、この記事では、その舞台となった世界一の人口密度を誇った端島の「最後の10年」について、ひも解いてゆきたい。 1965(昭和40)年の端島の人口は3391人。最盛期の5000人超よりは減っていたものの、採掘の機械化や合理化による面もあり、まだまだ未来は明るかったといえる。ちなみにこの時期、人口が減ったことによって、2戸をつなげて1戸とするなど、住環境は大きく改善されたという。 この年、端島の南西約3km沖にあった区域での坑道の掘進が始まっている。未来への新たな光が見えてきた。その喜びのほどは、ドラマ最終話でも描かれている。坑道は700m超まで掘り進められていた。 ■「前途ようようたる鉱命が一夜にしてアガリヤマに」 ところが、そのわずか5年後。希望の光はついえてしまう。新区域の炭層が思いのほか深部にあることがわかり、当時の技術では採炭は不可能との結論に至ってしまうのだ。 そのことを会社から告げられた労働組合は、松下久道九州大学教授、兼重修熊本大学教授など、専門家を中心にした調査団を編成し、独自調査に乗り出す。 しかし、結果は同じだった。 この端島沖開発工事の断念が、事実上、端島炭鉱の閉山を決定づけた。炭鉱なくして端島の生活は成り立たない。労働組合は閉山阻止の方向ではなく、退職金や再就職あっせんなど、退職に伴う条件交渉に向けた交渉へと舵を切る。折しも「石炭から石油へ」のエネルギー革命が着々と進行する時代だった。 閉山時の組合長だった千住繁氏は、のちにこう語っている。 ---------- 「そのころは三ツ瀬区域の出炭は順調だったし、そのうえ端島沖が開発されたら、これはもう無尽蔵、みんな意気盛んでしたよ。それが開発不可能だというんだから、前途ようようたる鉱命が一夜にしてアガリヤマになったわけさ」 「私だって青春時代をここで過ごした。組合長として最後の仕事に追われて、感傷にひたっているひまもないがね。身のふり方にしろ、みんなを送り出して、それからですたい」 (『聞き書き──軍艦島』長崎県朝日会) ----------