【闘病】生まれた娘は「左心低形成症候群」それでも手術・大量の薬の服用を乗り越える理由
出産を乗り越えたと安心するのも束の間、生後4日目に「左心低形成症候群」という心臓の病気と診断され、闘病生活を続けているお子さんの母である「S. H」さん。絶望を感じていた日々から、前向きに娘さんと病気に向き合えるようになった背景には、どのような思いがあるのでしょうか? 出産から現在に至るまでのお話を聞きました。 ※本記事は、個人の感想・体験に基づいた内容となっています。2023年11月取材。 [この記事は、Medical DOC医療アドバイザーにより医療情報の信憑性について確認後に公開しております]
心雑音があり、生後4日で大学病院へ転院
編集部: お子さんの病気が判明した経緯について教えてください。 S.Hさん: 3人目の出産だったので、退院までの一通りの経過を想像していたのですが、出産後の酸素飽和度が低くてなかなか保育器から出ることができず、不安な日々が続きました。出産した小児科の診療で、生後4日目に「心雑音があるから大きな病院で診てもらったほうがよい」と言われ、大学病院へ転院することになりました。 編集部: 大学病院ではどのように診断されたのですか? S.Hさん: 「左心低形成症候群」という先天性心疾患の中でも重症度の極めて高い病気だと診断されました。 編集部: どのように治療を進めていくと医師から説明があったのでしょうか? S.Hさん: 「最低でも4回の手術が必要であり、完治はしない」と言われました。 編集部: 病気が判明したときの心境について教えてください。 S.Hさん: 絶望で、未来を想像することができませんでした。手術前日には神社へお参りに行きましたが、周りには七五三の家族がおり、我が家だけ白黒になったような気持ちになっていました。
家族・友人の支えがあったから、娘の入院生活を乗り越えることができた
編集部: 発症後、生活にどのような変化がありましたか? S.Hさん: 入院期間中、付き添いのために夫婦のどちらかが病院に行く必要があったので、家族バラバラの生活が始まりました。当時、小学1年生と小学4年生だった兄姉には寂しい想いをたくさんさせました。ですが、家族や友人などたくさんの方に支えてもらい、数カ月の入院生活を乗り越えられました。退院後も娘中心の生活ではありましたが、家族の絆は深くなったと思います。 編集部: 闘病に向き合う上で心の支えになっているものを教えてください。 S.Hさん: 家族の存在はもちろんですが、私は一番初めの医師から説明を受けた際に言われた言葉をずっと心の支えにしていました。それは「スポーツ選手にはなれないけれど、ランドセルを担いで学校へ行けます」という言葉です。小学校へ入学し、娘がランドセルを担いで登校した姿を見た時は、感慨深い気持ちでいっぱいになりました。 編集部: もし昔の自分や娘さんに声をかけられたら、どんな助言をしますか? S.Hさん: 「未来は明るいよ」と伝えたいですね。闘病を通して、子どもの可能性は無限大だということを、身をもって実感しました。