映画『コール・ジェーン -女性たちの秘密の電話-』人工妊娠中絶が違法だった時代の女性の苦難
楽観的で明るい雰囲気に貫かれた“娯楽”としての親しみやすさ
実際には中絶が必要な女性たちを救う「ジェーン」の活動とジョイが経験したことは、もっと重くつらい話も多かったはずだ。しかし、映画は最初から最後まで、楽観的で明るい雰囲気に貫かれた“娯楽”としての親しみやすさが好ましい。 その明るさの大きな理由のひとつは、この映画そのものが、女性が自分の体に関することを自分自身で決められる権利である「SRHR(セクシアル・リプロダクティブ・ヘルス/ライツ)」を一点のくもりもなく支持している点にあるだろう。 「望まない妊娠をした女性が中絶をすること」は当然の権利であるとする作り手の意思を反映して、「ジェーン」にコンタクトを取ってきた女性たちが、どんな理由や事情があるのかといった詳細を問われるシーンに重きを置いていない。実際には活動家にせよ中絶手術に来る女性たちにせよ、それぞれに理由や葛藤、逡巡する思いがあるはずだが、そこはあえて軽めの描写になっている。 生活困窮者、性犯罪の被害者、恋人とのセックスや一夜限りの関係で妊娠した、あるいはキャリアのためなど、それが世間一般の尺度で「妥当な理由か否か」といったジャッジをすることはしないところに潔さがある。なぜなら、妥当性が焦点なのではなく、本作は望まない妊娠の人工中絶という守られるべき女性の権利についての物語だからだ。 そもそも、アメリカでは1960年に避妊ピルが初めて認可され、1965年に夫婦が避妊薬・用具を購入・使用することが合憲だとする連邦最高裁判所の判決が下されたことを考えれば、ジョイのように予期せぬ妊娠を含めて、いかに女性が自分の体を守る手段も知識も不十分だったことが想像できる。 ただし、手術を受けられる人数には限界があるので、どのような状況にいる女性を優先するべきか、人種か経済状況か理由なのかといった議論が紛糾するくだりはある。ジョイもまた、自分の体を守るために中絶を選択することへの逡巡は比較的さらりと描かれる。もちろん、その胸の内にはさまざまな感情があるのだろうが、それは当然観客の想像の範囲だろう。 監督・脚本を手がけたフィリス・ナジーは劇作家としてキャリアをスタート。批評家に高く評価された、トッド・ヘインズ監督の『キャロル』の脚本などを担当し、本作で長編映画デビューを飾った。女性たちの選択を100%肯定的に描くというナジーとプロデューサーたちの選択は、その思い切りのよさが、広く一般に問題提起することと同時に、女性をエンパワーメントするメッセージをわかりやすく伝えることにつながっている。