数十年経った今もなお「母を葬る」ことができない 秋吉久美子さんと下重暁子さんが語る「母と娘」
言い方を換えれば、それほどの痛手でした。痛みが強すぎた。それは母を失った痛みというより、母の期待に応えられなかった痛みです。男性が最愛の人を亡くしてアルコールに溺れたりしますが、私の喪失体験も自分をガラリと変えました。それまで、自分の生き方に疑問なんて抱くこともなかったのに。 下重 母親って、目の前に立っている屏風のようなものだと思うの。私は完全に自立しているつもりだったけれど、やっぱり母が前に立って守っていてくれたから安心して生きてこられたんだと思います。それが取り払われて、ある種のすがすがしさも感じるわね。
そんなふうに思えるようになったのは最近のことです。母が生きているときは、思いもよらなかった。母は私の中に入り込んだって言いましたけど。私が死んだら、私の血も肉もなくなるわけでしょ? そのときこそ私と一緒に母も死ぬ。そう感じています。 秋吉 私は満足のいく形で母の看取りができなかった。これからの自分がどのように生きるか、どれだけ成長するかということが、母を葬(おく)ることなのかなって思いますね。
【後編】秋吉さん下重さん語る「歳を取る」と「今を生きる」
吉田 理栄子 :ライター/エディター