数十年経った今もなお「母を葬る」ことができない 秋吉久美子さんと下重暁子さんが語る「母と娘」
一番近くにいて何でも知っている、わかっていると思い込んでいるから、あえて掘り下げない。恋人や友人なら相手のことをもっと深く知りたくて、いろいろ聞くのにね。つまり、一生知ることのないまま別れの日を迎えるのが、肉親でしょう。でも、万一親を知ることができるとすれば、案外「介護」は一つのきっかけになるんじゃないかと思うんです。 秋吉 父のほうが先に亡くなっていますが、そのときは全然違った。父に対しては死の1週間前まで反抗期が続いていたんですけど、いよいよ死期が迫り私が看取ることになると、なんのわだかまりもなく通じ合うことができたんです。長い長い反抗期が、このときに終わりを告げました。
「人は亡くなる48時間前でもこんなに麗しく成長できるんだ」って、心が震えました。父は、今際(いまわ)の際(きわ)に素晴らしいプレゼントを残して旅立ったのです。それが、先ほどもお話ししたように、母のときは正反対。自分の未熟さ、至らなさを嫌というほど自覚させられたの。 一人の人間として自立し人生を深めていくための経験を、父と母、それぞれの死からそれぞれ別の形で与えられたのかなと思います。 両親の死が、子どもを成長させるんですね。
下重 父親は、やっぱり客観的な存在よね。血のつながりはあるにせよ、自分と深く結びついている感覚は少ない気がする。母ですよ、やっぱり。誰もが母から生まれてきたんだから。 戦争で特攻隊員として命を落とした青年たちだって、最後はみんな「お母さん」って叫んだと言いますよね。 鬼籍の人になったあとも、母は私の内に入り込んで、すっかり同化してしまった感覚がある。私の血となり肉となり……つまり「私」になっちゃった。だから夢に一度も出てこないんだと思うの。その存在はとてつもなく大きいし、なんだか恐ろしい因縁まで感じます。
■喪失体験が自分をガラリと変えた 秋吉 私は引き受けた感じですね。亡くなって初めて、父母を背負った。生きている間は負わなくて済んだんですよ。両親それぞれがちゃんとしてくれていたから。 たとえば、かつての母の期待を背負うことで目線が一緒になり、今は母の想いとともに生きるようになりましたから。母が生きている頃は、期待に応えることなんて考えもしなかったし、心の赴くまま、まるで人生の暴君のように振る舞ってきたけれど 、亡くなって初めて「覚悟」が生まれたのかな。