システムの中で生きる「個人」の苦しさや淋しさを書く
西山に安眠できた日はあったのか
塩田 西山義治という人についても話したいですね。彼、ハンサムだったんですよね。その上、人たらしで、虚言癖がある。良い車に乗って、高い時計をして、毎晩飲み歩き、社員旅行で豪勢にチップをはずむ西山を、窪田さんは本の中で「田舎のヤンキー」と表現されています。ただ、恐るべき偏食で、タコとカップラーメンしか食べない。そういう人間が虚勢を張って生きていたことに、僕はもの悲しさを感じました。10年にわたって不正を働き、引き返せない地点まで行ってしまった西山に、安眠できた日はあったのかなと。 窪田 先日もまた対馬に取材に行き、西山軍団の一人に話を聞いたんです。彼が言うには、「西山さんは毎晩飲まずにはいられない人だった」と。みんなそんなに飲みたくないんだけど、西山さんが飲まないと気が済まなかったと。「西山軍団」というのも、彼一人が言っていたことだと聞いたときに、淋しい人生だったのかなと僕も思いましたね。 塩田 西山の人生って、不安を覆い隠すための人生だったように思います。でも何かを隠そうとすると、何かが過剰になります。西山の場合は、ある臨時職員の女性が西山軍団に入らないから意地悪をしていましたよね。放っておくこともできたのに過剰な反応をしたことが、崩壊の引き金になった。西山に内緒で開かれた彼女の送別会をきっかけに不正が明るみに出ていくくだりを読みながら、この長期にわたる犯罪は、西山の死によって一気に爆発したように見えますが実はそうではなく、少しずつ状況が裏返っていったことがよくわかりました。ここに組織の中で個人が崩壊していく一つの型を見て取って、「崩壊」を考えたというわけです。
取材の神様が出会わせてくれた人
窪田 不正の手口という点では、自然災害の被害を捏造したり、顧客から通帳や印鑑を預かって勝手に口座を作ったり、顧客が知らない間に契約を結んだり……あらゆる手口を駆使して西山は不正を働いていました。ただ、彼に協力した人がいた一方で、不正を告発したかった人もいて、その一人が、元上司の小宮厚實(あつみ)さんです。小宮さんなしにこの本は書けませんでした。取材の神様が会わせてくれたと思っています。 塩田 小宮さんの存在に、この本は救われていますよね。 窪田 はい。小宮さんは2011年の上対馬支店長時代、西山の不正に気づいて内部告発文書を作成したのですが役員らに黙殺され、左遷されました。小宮さんの存在を知って連絡をとったとき、九州大学病院に入院されていたんです。病状がわからないのでためらったものの、会いたいと告げると「わかった」と。その「わかった」が、何でも話すよ、と言ってくれているように聞こえたんです。すぐに病院に会いに行き、西山の手口や組織ぐるみの隠ぺいの実態について聞きました。2か月後にもう一回お会いし、それが最後になりました。小宮さんと会えたのも奇跡ですし、タイミングもぎりぎりのところに滑り込んだ感じです。 塩田 窪田さんが会いに来てくれて、話をすることができて、小宮さんもうれしかったんじゃないかな。最後が泣かせますよね。西山のことを一番思っていたのは小宮さんだったと……。 窪田 西山によって痛い目にあっていたのに、西山が亡くなった後、真っ先に西山のお母さんに会いに行って、何かあったら言ってくださいと伝えていた。小宮さんはよくわかっていたんだと思います。農協のシステムが西山をおかしくしていったことを。そういう広い視野を持っていた人だから告発ができたのだと思うし、僕は小宮さんの視点を受け継いで、この事件を見てきたところがあります。 塩田 この本はしんどい話ですが、たった一人の思いから波紋が広がっていくところに、僕は希望を感じました。一人の人間が勇気ある行動を起こし、その思いをくみ取るジャーナリストがいて、ジャーナリストの本を読んだ読者が思いを共有していくことで社会が変わっていく。ノンフィクションの力を実感します。 窪田 一人の良心が世の中を変えていくことそのものが希望なのではないか。それはこの本に込めたかった一つのメッセージです。 同時に、小宮さんが亡くなったとき、やり切れなさを感じました。というのは、西山も、小宮さんも亡くなった。結果、圧倒的多数の、いわば小悪党だけが残った……。本をいったん書き終えた今も、その事実を消化できないでいます。 塩田 白と黒はわかりやすいけど、グレーはわかりにくいんですよね。SNS時代で、タイパやコスパが求められる今、白か黒ばかりが見られるようになっていますが、だからこそ、作家はグレーゾーンに潜むものを言語化し、作品化していくことが大事だろうと思います。窪田さんのこの作品はまさにそういう本で、ゆえに、ざらつきが残るんです。ざらつきが残る本を、僕は読み返したくなります。 窪田 ありがとうございます。グレーゾーンにいる多数の人というのは、自分であり、あなたでもあると思います。本を読んでくれた人に、何かを感じ取ってもらえたらいいなと思っています。