「人類の利益」のため?故郷奪われた太平洋の人々の今 ビキニ水爆70年、目の当たりにした「終わらない」被害
今年2月27日、マジュロにある体育館。「ビキニ環礁では何回、核実験があったでしょうか」。小中学生約200人にレレボウが問いかけた。子どもたちは「1!」「2!」と元気な声を上げたが、正解の「23回」は出なかった。 ブラボー実験は広島原爆の千発分の威力があったこと、被ばくした住民たちは米軍に血や尿を取られ、放射線影響の「実験台」にさせられたとみられること―。写真や動画を見せながら授業は約30分間続いた。「子どもたちに同じ思いをさせたくない」。不条理に立ち向かった女性の娘として、2人の男の子の母親として、その声には熱がこもっていた。 ▽継承の前に 「黄色やピンク色の粉が空から降ってきて、大きな音もした。とても近く(で爆発したよう)に感じた」。3月12日、マジュロの民家でウィセ・リクロン(74)は70年前の記憶をゆっくりと辿った。後にブラボー実験によるものだと知る、奇妙な出来事を体験したのは、ビキニ環礁から約520キロ離れたアイルック環礁でのこと。米軍による事前の警告はなく「何が起きたか分からず怖かった」。色とりどりの美しい「粉」が人体に有害なものだと知るよしもなかった。
住民約400人は島の植物や雨水を摂取する生活を続けた。民家の住人で、アイルック出身のジェベ・リバー(68)は、実験後、極端に背の低い子どもが生まれたり、通常とは異なる色をしたココナッツがなったりするなど異変が相次いだと証言した。 しかし、米国が公式に被害を認め、独立時に結んだ「自由連合協定」に基づく補償の対象としたのは、ビキニ、エニウェトク、ロンゲラップ、ウトリックの4環礁のみ。米軍の観測記録などが1990年代に機密解除され、補償対象外の地域にも汚染が広がっていたことが明るみになると、マーシャル政府は2000年、補償拡充を求め米議会に請願を提出した。しかし、米政府は決着したとして請け合わなかった。 マーシャルの核被害を研究する明星大教授の竹峰誠一郎は、認定外の地域は社会的にも認知されず、学術的調査も報道も十分に行われてこなかったと指摘する。「継承を語る前に、誰が被害者なのかさえ確定していない」