錠剤飲んだら激しい吐き気や高熱…「治るかも」淡い期待は絶望に 軍が開発した新薬「虹波」投与は「まるで人体実験」 恐怖に耐えたハンセン病元患者の憤り
動き始めた健康被害の検証作業
戦時中、陸軍がハンセン病患者に投与した薬剤「虹波(こうは)」による健康被害。近年、検証作業がようやく動き始めた。これまで報道機関に対して証言する被験者がほとんどいない中、10代で虹波を投与され、今は香川県高松市の国立ハンセン病療養所・大島青松園に暮らす松本常二(つねじ)さん(93)が信濃毎日新聞の取材に応じた。激しい副作用に苦しんだ体験を語り、「モルモットのようだった」と当時を振り返った。 【写真】約80年前に投与された虹波の痛みや苦しみを生々しく証言する松本さん
鮮明に残る80年前の記憶
松本さんは戦後、ハンセン病の後遺症の影響で視力を失い、手指が変形している。今月20日、右手に補助具で固定したマイクを口元に引き寄せ、車いすに全身を預けながら、80年たっても鮮明に残っている記憶をひもといた。
「軍が新薬を開発」
愛媛県で7人きょうだいの末っ子として生まれた。発病後の1942(昭和17)年、国の隔離政策で瀬戸内海の大島にある同園に収容。園内の尋常高等小学校に通った。44年、高等科1年ごろだった松本さんは医師から「軍が新薬を開発した」と告げられた。
「これで治るかも」
治療棟に呼び出され、虹波の臨床試験が始まった。何の説明もないまま「カプセル状でグレー」だったと記憶する小さな錠剤を毎日飲まされた。薬剤を注射で投与された人もいた。ハンセン病の特効薬がまだなかった時代。「これで治るかも」とも思った。
吐き気と全身の痛み、高熱も
だがその後、淡い期待は絶望に変わった。吐き気や全身の痛みに襲われ、高熱で1週間ほど記憶を失ったことも。試験に選ばれたのは若くて病状が比較的軽い少年と少女が多かったという。副作用からか髪がわらわらと抜け、故郷を失った上に変わり果てた容姿となってうなだれる少女を前に、かける言葉が見つからなかった。
「お父さん、お母さん…」胸の中で唱え飲み込む
錠剤を舌の下に隠し、治療棟前の路上に吐き出す人が出始めると、医師や看護師は監視の目を強化した。錠剤が喉を通ったのを確認され、「よろしい」と言われるまで帰れなくなった。「お父さん、お母さん…」。胸の中で何度も唱えて恐怖に耐えながら、ぐっと飲み込んだ。