「家父長制」は不変なのか?長い歴史から紐解く。世界各地を訪ね歩く科学ジャーナリストの視点
■不平等と家父長制の裏にある「人口」 比較的自由な狩猟採集社会とは異なり、穀物に依存した限られた食生活が主流となり、人々は大量に保存された穀物を一定の割合で分け合った。若い男性はいつでも戦場に赴くことを期待され、死の危険に直面していた。若い女性は、できるだけ多くの子を産むべきだという圧力にさらされていた。 「これら初期の国家では、人口が問題でした」とスコットは言う。「不自由な条件のもとで人を集めて、彼らをそこに留まらせるにはどうしたらいいか。国家を運営する支配層や聖職者、職人、貴族や王族が必要とする多くの食料を生産させるにはどうしたらいいか。それが問題でした」。
不平等と家父長制の拡大を理解するうえで鍵となるのは、人口なのだ。人口規模の維持とその管理が極めて重要だった。 しかし、これまでは財産が注目されることが多かった。フリードリヒ・エンゲルスをはじめとする19世紀の哲学者らは、男性が女性に対する支配権を確立したのは、人類が農業を始めたのと同じ頃だと考えていた。つまり、人々が土地や家畜といった所有できるものを蓄え始めた頃である。 支配層や上流階級の人々が富の大部分を管理するようになった。そして、それに伴って、男性は子どもが本当に自分の子どもなのかを確認し、財産を正当な相続人に受け継ぐ方法を探し始めたとエンゲルスは主張した。だから、男性は女性の性的自由を制限するようになった。
歴史をこのように説明すれば、男性が農作業に従事するようになると、女性の仕事は家庭に限定されるようになる。こうして、公的な領域と私的な領域が男女で役割分担されるようになったと考えられてきた。 とはいえ最近、考古学者と人類学者は見方を変えつつある。エンゲルスやほかの哲学者らが唱えた「農業をきっかけにジェンダー関係が様変わりした」という説は、すでに正しいとは考えられていない。 「農耕を始めて、財産をもつようになった途端、女性を財産として管理するようになったという昔ながらの説が……正しいとは思えません。明らかに間違っていると思います」と考古学者のイアン・ホッダーは言う。「当時の社会は平等で、農業が始まってからも長いあいだ、男女間の差別はあまりなかったと認めるべきだと思います」。