CIA女性スパイが「男の世界」で受けた「露骨な性差別」、アルカイダの脅威を警告もブッシュ政権は...
女性職員による集団訴訟も起きていた
マンディの筆致は、女性がCIAの中枢に受け入れられた時代を掘り下げるにつれ、勢いを増す。そんな女性たちのうちの何人かに、マンディはスポットライトを当てている。 国際色豊かな家庭に生まれ、名門ブラウン大学をトップクラスの成績で卒業したリサ・マンフルは、68年にCIAのキャリア訓練プログラムに参加し、男性より低い給料で採用された。上層部はマンフルを何年もデスクワークに専従させようとしたが、彼女は工作員として成功した。 マンディはさらに、OSS創設者の秘書からスタートし、78年にCIA初の女性支局長となったエロイーズ・ペイジにもスポットを当てた。 バージニア州にあるCIAの訓練施設「ザ・ファーム」では、70年代に入っても女性は工作員研修の一部しか受けることができなかった。 それでも女性工作員たちは、その能力の高さを身をもって証明してみせた。ハイジャック犯と交渉したり、アポなしで接触してきて情報提供を申し出る人々に巧みに応対するなど、幅広い仕事を見事にこなした。 状況が変わるきっかけとなったのは、クラレンス・トーマス連邦最高裁判事の指名をめぐる91年の上院の公聴会だ。10年前にトーマスからセクハラを受けたという黒人女性アニタ・ヒルの証言を聴いていたのは、全員が白人男性の上院司法委員会のメンバーだった。 最終的にはトーマスの指名が承認され、ヒルはバッシングに遭ったが、この公聴会はワシントンの政官界が性差別の問題に改めて目を向けるきっかけとなった。翌92年の上院選では、女性の当選者数が過去最高となった。 CIAでも92年に女性職員の処遇に関する調査が行われ、その結果、男女間に大きな昇進格差があることが浮き彫りになった。女性はCIAの専門職の40%を占めていたが、幹部である「上級情報職」に占める割合は10%にすぎなかった。 それでもマンディによれば、女性たちはこの報告にほっとしていたという。男社会のCIAがやっと変わりそうな空気を感じ取ったのだろう。 94年には女性スタッフのジャニーン・ブルックナーが、性差別でCIAを訴えた。当時彼女は、職務中の行動に問題があったといういわれのない疑いをかけられており、降格や刑事告発の憂き目に遭う恐れまであった。 訴訟は金銭による和解に終わり、ブルックナーは退職。その後、彼女は政府機関における差別問題の訴訟を専門に扱う弁護士になった。 同じ頃、CIA内部で性差別が横行しているとする女性職員の集団訴訟が起きた。マンディによれば95年に和解した際、CIAは「長年にわたり女性の秘密工作員に対し、組織的な差別を行ってきた」と認めた。