CIA女性スパイが「男の世界」で受けた「露骨な性差別」、アルカイダの脅威を警告もブッシュ政権は...
組織変革の恩恵を受けられた
一方で、彼女たちのようになりたくないとも考えていた。CIAで成功しつつ、同時に家庭を持つことはできないのか? 私たち女性工作員にとっては、「セクシュアルハラスメント」や「男女差別」はもちろん、「自覚なき差別」「無意識の偏見」といった言葉は意味を成さなかった。男性幹部からの日常的な女性差別を受け入れるしか選択肢はなかった。 時には露骨な差別があった。私の友人は、アフリカでの最初の赴任先で男性支局長に「仕事を辞めて、結婚して子供を産むべきだ」と言われた。そもそも女に工作員の仕事が務まると思っているのか、と。 見えにくい差別もあった。スパイの活用やリクルートに同じくらい成功していた女性に比べて、若い男性のほうが昇進は早かった。 入念な取材に基づくマンディの『シスターフッド』の焦点は、女性スパイのCIAに対する貢献と、彼女たちが直面した障壁だ。この本は、第2次大戦中に諜報機関に入った女性たちの回想から静かに始まる。 CIAの前身である戦略事務局(OSS)には、戦争がもたらした仕事のチャンスに女性たちが殺到した。応募者は首都ワシントンの地味な建物に集められた。 男性は面接の前に、社会階層や職業、軍の階級を分からなくするため、軍服に着替えるよう指示された。女性は別室に連れて行かれ、コートと帽子を脱ぐよう言われた。女性については「それ以上の平等化は必要ないと考えられていた」と、マンディは書いている。 40年代にOSSに採用された女性の多くは、高度な教育を受け、洗練されており、いくつもの外国語を操ることができた。女性の新規採用者のための試験では、書類を上手に整理できるかどうかが試された。 しかし採用されると、そのうち何人かは諜報活動に従事した。彼女たちは優れたスパイ組織を立ち上げ、ナチスドイツや他の枢軸国の高官から情報を入手し、重要な情報をワシントンに伝えるなど、あらゆる場面で勇気と知性を発揮した。 だが戦後、ワシントンは集団的健忘症にかかったようだった。戦時中に女性が重要な役割を果たしたことは忘れ去られ、彼女たちは再び補助的な仕事に追いやられた。 50~60年代は、秘書がパンストと白い手袋を身に着け、男性の上司に付き従う時代だった。だが70~80年代になると、CIAは男性と同等の知性と度胸を持つ女性を採用し始めた。私はこの大変革の恩恵を受けた。