感染症の文明史【第2部】インフルの脅威 2章 スペイン風邪:(4)永久凍土から現れたウイルスの正体
現在の世界人口に換算すると4億人以上が死亡
オランダ・ユトレヒト大学のピーター・シュプローウェンベルクらがスペイン風邪の各国の推定死者数をまとめた数字は以下のようになる。最大の死者を出したのはインドで1200万~1700万人、米国50万~85万人(CDCの推定では67万5000人)、ロシア45万人(別の研究では270万人)、フランス40万人、ブラジル30万人、イギリス25万人、カナダ5万人、スウェーデン3万4000人、フィンランド2万人となっている。 感染者や死亡者の総数は、国によって統計の精度に大きな隔たりがあり、研究者によってもばらつきが大きい。世界の死者数は収束直後の推定では約1500万人、1920年代の計算では約2152万人とされた。年を追うごとに一貫して上方修正されてきたが、1991年の論文では、2470万~3930万人と大幅に修正され、それ以降は5000万人以上がスペイン風邪で命を失ったとされた。 米国ワシントン大学のマレー・クリストファー教授(病理統計学)らによる近年の研究によって、アジア・アフリカ地域などこれまで調査されなかった地域での感染状況も分かってきた。その結果、当時の死亡率の再検討から、死者数は5100万人から8100万人と推定された。死者数は最大で、サハラ以南アフリカでは1800万人、南アジアでは1300万人、東アジアは2000万人としている。 近年さらに推定値が上方修正されている。生涯をインフルエンザ研究に費やし、ノーベル生理学医学賞を受賞したフランク・バーネットは、死者数はおそらく1億人に上ると推定している。スペイン風邪研究の世界的リーダーである米国立衛生研究所(NHI)のジェフリー・タウベンバーガーは、「人類の3分の1を感染させ、5000万~1億人を死亡させた。死者を1億人とすると、現在の世界人口80.5億人に換算すると、4億人を超える犠牲者が出たことになる」と語る。
病因を探るために人体実験も
スペイン風邪は1920年から21年の冬に再流行したものの、致死率ははるかに低く季節性インフルとほとんど区別がつかなかった。多くの人が感染によって免疫を獲得し、パンデミックが波状的になるにつれて、ウイルスも弱毒化していったとみられる。それ以来約100年、多くの科学者がその正体を探る挑戦を続けてきた。 1920年代、電子顕微鏡が登場前まで科学者たちは何らかの微生物によってスペイン風邪が引き起こされたと考えていた。ウイルスの存在が明らかになっていない当時、さまざまな解明手段が試みられた。1928年11月、米国海軍は最後の手段として、軍刑務所に対し収容されている受刑者を対象に、釈放を条件に人体実験の被験者を募った。 応募した68人の水兵の口元で感染者に咳(せき)をさせたり、握手や会話をさせたり、最後には血液や痰(たん)まで接種した。他の海軍と陸軍の基地でも似たような実験を行ったが、感染した者は皆無だった。おそらく、受刑者らは実験以前にスペイン風邪にさらされており自然免疫を獲得していたのだろう。後になってこの乱暴な人体実験は多くの批判を浴びることになった。 感染者の喉や肺を調べて原因となる細菌を発見したという報告は数多くあったが、いずれも無関係だった。1933年になって英国の医師で細菌学者ウィルソン・スミスらが、患者の喉から採取した粘液を細かなフィルターでろ過してイタチ科の実験動物フェレットに接種、はじめて感染させることに成功した。科学者の1人が実験中にフェレットから感染して、ウイルスの存在が初めて電子顕微鏡で確認されたのだ。