感染症の文明史【第2部】インフルの脅威 2章 スペイン風邪:(4)永久凍土から現れたウイルスの正体
ウイルスを求めて永久凍土の墓を掘り返す執念
だが、思わぬところから正体を探る手がかりが現れた。スペイン風邪は、免疫のない先住民に致命的な打撃を与えることがよく知られていた。アラスカでは集落によって人口の6割以上が死亡する大惨事が起きている。彼らが“物的証拠”を残してくれたおかげで、研究は大きく進むことになった。 アラスカのベーリング海峡近くの海辺に、ブレヴィグ・ミッションという名の村がある。現在は400 人ほどのイヌイット族が住んでいるが、1918年当時の人口は約80人だった。こんな極北の小集落にまで、スペイン風邪が侵入してきた。11月15日から20日までの5日間に、全住民のうち 72人の命が奪われた。ウイルスを持ち込んだ“犯人”として、郵便配達員や犬橇(ぞり)で行商にやって来た近くの町の商人が疑われたが、因果関係は不明だった。 犠牲者の遺体はそのまま村はずれの墓地に埋葬されたため、永久凍土に守られてきた。1951年に、米国アイオワ大学の大学院生ヨハン・ハルティンが、スペイン風邪の患者の組織標本を採取するために、村の長老の許可を取りつけて遺体を発掘した。最初に発見した冷凍遺体は、青いドレス姿で三つ編みの髪に赤いリボンを結んだ少女だった。4つの遺体を回収して、たき火で温め解凍してから組織を採ることができた。しかし研究室に持ち帰ったものの、持参したドライアイスが途中で蒸発して保存がうまくいかず、ウイルスの培養は失敗した。 1997年になって、スペイン風邪研究の世界的リーダーであるNHIのタウベンバーガーが、スペイン風邪で死亡した兵士のホルマリン固定肺標本からRNAを抽出、ウイルス遺伝子を部分的に解読して発表した。72歳になっていたハルティンはこの報告を聞いてタウベンバーガーと連絡をとるとともに、再びブレヴィグ・ミッションに飛んだ。発掘されたルーシーという名の女性の保存状態は極めて良好だった。肥満体だったために、厚い脂肪で守られて細胞があまり損傷を受けていなかったからだ。 採取した肺組織からタウベンバーガーがウイルスを分離して、2005年までにゲノムの完全な解読に成功した。その結果、スペイン風邪の原因になったウイルスは、「H1N1亜型鳥インフルウイルス」だったことが確認された。この亜型はその後に季節性インフルに変わったが、それと比べて4万倍も毒性が強いことも判明した。この発見で研究は大きく進展した。ウイルスの遺伝子が再構築され、それをサルに感染させたところ、スペイン風邪と同じ症状を引き起こし、サイトカインストーム(感染量の増加によって起こるサイトカインの免疫暴走)で死亡した。 ハルティンは、2022年1月22日に97歳で亡くなった。新聞は「ウイルスハンターのインディ・ジョーンズ」と追悼の辞を贈り、彼は亡くなるまで永久凍土の中で眠っていた赤いリボンの少女のことを熱く語っていたと報じた。 だが、新たなナゾも浮かび上がってきた。 第3章では、史上最強の毒性をもった鳥インフルウイルスについて掘り下げていく。 (文中敬称略)
【Profile】
石 弘之 環境史・感染症史研究者。朝日新聞社・編集委員を経て、国連環境計画上級顧問、東京大学・北海道大学大学院教授、北京大学大学院招聘教授、ザンビア特命全権大使などを歴任。国連ボーマ賞、国連グローバル500賞、毎日出版文化賞などを受賞。主な著書に『名作の中の地球環境史』(岩波書店、2011年)、『環境再興史』(KADOKAWA、2019年)、『噴火と寒冷化の災害史』(同、2022年)など。『感染症の世界史』(同、2018年)はベストセラーになった。