船木誠勝が18年越しの村上和成との因縁対決へ決意表明「ストロングスタイルプロレスの闘いは佐山さん、その先にやっぱり猪木さんがいると思うんです」
「最初言っていたのがマスクマンとしての復帰だったんです」
【船木誠勝スペシャルインタビュー】 18年越しの闘いのドラマに決着なるか!村上和成と船木誠勝がレジェンド王座戦を懸け激突! 9.26初代タイガーマスクストロングスタイルプロレス後楽園ホール決戦! 【動画】藤原喜明&船木誠勝・初対談が遂に実現!長い時を経て師弟は何を語り合う!? 初代タイガーマスク 佐山サトル率いるストロングスタイルプロレスが9月26日(木)東京・後楽園ホール大会を開催。同大会のダブルメインイベントとしておこなわれる王者・村上和成vs挑戦者・船木誠勝のレジェンド選手権試合で、18年越しの闘いのドラマがひとつの決着を迎えようとしている。 2006年に旗揚げされたプロレス団体「ビッグマウスラウド」。同団体の社長を務めた村上と、当時5年ぶりのプロレス復帰を果たそうとしていた船木は同年2・26徳島で一騎打ちをおこなう予定だったが、団体内のトラブルによって船木はスーパーバイザーを務めていた前田日明とともに離脱。両者の一騎打ちは幻に終わり、残された村上は孤軍奮闘するも団体は活動停止に追い込まれた。 あれから18年が経ったが、ビッグマウスラウドを巡る因縁は村上、船木、双方の心に刻まれたまま。だからこそ村上は船木を挑戦者に指名し、船木も快諾。プロレスだからこそ描かれる18年越しの大河ドラマに向け、船木は何を思うのか。故アントニオ猪木、そして初代タイガーが築き上げてきた本物のストロングスタイルを村上となら魅せることができると語る船木は、同一戦を制し、7年ぶりのレジェンド王座戴冠を果たすと誓った。 ――いまから18年前、ビッグマウスラウド時代の因縁を清算する意味を込めて、村上和成選手から送られた対戦要求に船木さんが応える形で9・26後楽園ホール大会でのレジェンド選手権試合が正式決定しました。 船木 2000年の引退から5年後、2005年に前田(日明)さんと再会したんです。当時、前田さんがスーパーバイザーを務めていた団体がビッグマウスラウドで、自分に復帰してもらえないかと。ただ、最初言っていたのがマスクマンとしての復帰だったんです。 ――マスクマン…! 船木 はい、映画とのコラボみたいな形で。ただ、自分にとっては引退して5年を経ての復帰になるので、大事にしたいというか、ちょっと(マスクマンでの復帰は)無理だなと。その頃はまだ復帰する気もなかったですし。エキシビションマッチでいいからライガーさんとやってもらえませんか?というオファーも断っていたぐらいなので。 ――そんな話もあったんですね。 船木 当時は船木が復帰するみたいな記事が1年に1回ぐらいは出てたんですよ。それが2004年ぐらいになると、そういう記事ももう出なくなって、ちょっと寂しいなという気持ちもどこかにあって。そんな時に前田さんと再会したんですよね。マスクマンの話は一度断りはしたんですが、その1週間後ぐらいにまた前田さんに呼ばれて、「UWFをもう1回やろうと思う。お前も協力してくれないか」と。当時、前田さんはHERO‘S(K-1のMMAイベント)のスーパーバイザーもやっていたので、そこの選手も加えて、UWFの続きみたいなことをできないかと考えていたようで。それで「そっちだったらどうだ?」と言われたので 「1週間、考える時間ください」と。その期間に、UWFの昔のビデオを見たりして、この続きであればいいなと。それで前田さんに「やります」と答えたのがキッカケだったんです。 ――そういう経緯があったんですね。 船木 ビックマウスラウドを軸に、1年に4回ぐらいスーパーUWFをやってみようと。そんな話が進んでいたなかでの、2006年2月26日、徳島大会で自分の復帰戦として、村上選手とやりましょうと。 ――水面下で決定したと。 船木 はい。じつは復帰第2戦は後楽園で天龍さんが相手をしてくれるっていう話まで決まってました。 ――そこまで決まっていたんですか。 船木 ただ前田さんとビッグマウスラウドのフロント、(元新日本プロレス取締役の)上井(文彦)さんが決裂してしまい、自分も前田さんと一緒に(ビッグマウスラウドを)離れることになってしまって、村上選手、当時は村上社長を一人残したまんまになってしまったことが自分の心残りでした。 ――その後、村上さんも上井さんと決別、孤軍奮闘する形になりました。 船木 当時から(ビッグマウスラウドが)大変なことになってますっていう話を聞くたびに、ちょっと悪いな、申し訳ないなという気持ちがずっとありました。悔しさと、申し訳なさ。当時は毎日のようにびにビッグマウスラウドの事務所に行って、復帰のことやその後も話をしてましたから、村上社長と。5年業界を離れていた自分にとって、業界の話をするというのが楽しくて、生き返ったような気持ちになっていた矢先だったので。 ――運命の徳島大会から18年の時を経て、村上選手のほうから対戦を望まれましたが? 船木 きたなと。嬉しかったですね。やっぱり、残った者のほうがつらいんですよ。去った人間は、そこからまた新しい生活が始まりますけど、残った者はあと処理じゃないですけども、 やっていかなきゃいけない。それもたった1人でやってた時の苦しさは想像がつかないぐらいなので。楽しかったのは、社長やりますと言って始めた数カ月だけだったと思いますよ。 ――プロレス団体はあくまで営利組織。金銭的な問題も付きまとったと思います。 船木 それが1番大きかったですよ。だから相当苦しかっただろうと思いますね。 ――そこを乗り越えた、いま現在の村上和成には人間的な強さもあるのでは? 船木 それはあると思いますね。人間って、肉体的なツラさより、精神的なツラさの方がこたえるんですよ。ただ、それを乗り越えた時、それまで以上の強さを得られるので。相当強いと思います、いまの村上選手は。プロレスラー、格闘家以前の、村上和成という人間ですよね。そこに自分というスタイルをぶつけていきたいなと思ってます。(村上には)その時の苦しみとかすべてをぶつけてもらいたいですし、そのうえでで、思いきりやり合いたいなと思います。