日本音楽界黎明期の立役者、山田耕筰。北原白秋との共同作業で生まれた名曲たち
クラシックソムリエが語る「名曲物語365」
難しいイメージのあるクラシック音楽も、作品に秘められた思いやエピソードを知ればぐっと身近な存在に。人生を豊かに彩る音楽の世界を、クラシックソムリエの田中 泰さんが案内します。
山田耕筰『からたちの花』『この道』 日本音楽界、黎明期の立役者
今日6月9日は、山田耕筰(1886~1965)の誕生日です。 童謡『赤とんぼ』や歌曲『からたちの花』などで名高い山田耕筰は、20世紀初頭の日本における西洋音楽の普及に努めた重要人物です。 耕筰は、18歳で東京音楽学校(後の東京藝術大学)予科に入学。22歳で卒業した後にドイツ留学を果たし、黎明期の日本音楽界に数々の貴重な情報と刺激をもたらします。当時の山田耕筰の写真を見ると髪はふさふさ。往年の坊主頭とは似ても似つかぬ姿がそこにあります。 1930年44歳の折に「耕作」から「耕筰」へと改名した理由は、まさに自らの禿頭を気にしてのこと。名前にカツラをかぶせるために竹冠(ケケ=毛毛)をつけたというそのセンスはさすがの一言。20歳の頃のふさふさの髪は、その音楽同様、山田耕筰にとって、とても大事な思い出だったのかもしれません。 その山田耕筰は、詩人北原白秋(1885~1942)との共同作業によって、数多くの国民的歌謡や校歌を手がけています。『からたちの花』や、『この道』はその代表作。今では日本を代表する歌曲として多くの歌手に歌い継がれる名曲です。
田中 泰/Yasushi Tanaka
一般財団法人日本クラシックソムリエ協会代表理事。ラジオや飛行機の機内チャンネルのほか、さまざまなメディアでの執筆や講演を通してクラシック音楽の魅力を発信している。