冷戦終結後のアジアと日本(5) 「地域研究」の可能性―歴史を踏まえた中国分析:天児慧・早大名誉教授
中国の捉え方:基層構造論から権威主義へ
青山 1980年代、特に1990年代、研究者が中国に行けるようになったことが地域研究にとって追い風になった面もあると思います。その地域研究の最大の特徴はマルチディシプリンですね。 天児 その通りです。でもそのマルチディシプリンを、いかにディシプリンを組み合わせて1つの系統的なものにするのかが非常に難しいわけです。この問題意識に基づいて、中国での長期滞在中に記した単行本が『中国―溶変する社会主義大国』(東京大学出版会、1992年)です。この本では、中国にいて感じたことを理論的に整理したフレームワークである基底構造論を提示しました。これは、社会を分析する場合に、非常に変わりにくい側面がその社会に必ずあるという議論でした。日本には日本の基底構造があるし、中国にもそれがある。 また、「溶変」とはまさに溶けるように変わっていくという意味でした。要するに基底構造はあるのだけれど、その変わりにくい部分もやはり溶けるように変わっていくことがある、ということを強調しようとしたのです。そして、その基底構造と溶変こそが、いかに地域研究の理論的なフレームワークを作っていくのかという問題意識への当時の自分なりの回答でもありました。 その後、自分としては、中国の権威主義体制をめぐる理解の仕方を提起したつもりです。権威主義と言っても、欧米で作り出された権威主義の理論は、ある意味で「解釈」のためのものに過ぎません。つまり、全体主義的な国家から民主国家へと移行するプロセスを解釈するためのフレームワークなのです。しかし、私は中国を見ていて、それほど生易しいものではないと感じたのです。私が考えていた中国の権威主義は、まさに古い時期から中国で築き上げられてきた、非常に硬い、そこに根付いた、変わりにくい象徴、それが権威主義だと思っています。だからこそ、中国における中国的な意味での権威主義の構造というか、それが形成されていく枠組みをいかに理解するのかということが、すごく大事になるのではないかと思っています。 中国の民主化についても、民主化していく運動体の主体自体が非常に権威主義的になってしまうことがあるわけですね。権威主義に対して民主化を対置させるような二項対立的な説明の仕方では中国政治は分からないのではないかと思います。 青山 欧米の二項対立的な固定概念ではなく、むしろ地域研究の方が、中国の変わる部分と変わらない部分を考察するに際しては意味がある、ということですね。 天児 地域研究を使わないと、分からないのではないかということです。中国の独自の体制をどのように理解したらいいのか。このことは、西側的な制度論では絶対に分からないという確信は持っています。だけど、それをいかに描くのか。 その試みの1つの成果が『中国のロジックと欧米思考』(青灯社、2021年)です。例えば、中国の国務院総理と中国共産党総書記との関係性です。この関係は、単なる従属関係ではなく、制度的関係なのです。習近平時代になって習への絶対的服従が顕著になっているが、これは個人的関係と言えます。伝統的な権力観をふまえて、その二重構造のような制度をいかに描くのか。このことは、まだできていません。でもそういうことをこれからもやってみたいと思っています。 インタビューは、2022年9月26日、nippon.comにおいて実施。原稿のまとめを川島真・東大大学院教授が担当した。『アジア研究』(70巻1号、2024年1月)にインタビュー記録の全体が掲載されている。
【Profile】
天児 慧 早稲田大学名誉教授。専門は現代中国論、アジア国際関係論。1947年、岡山県生まれ。青山学院大学教授、早稲田大学大学院教授などを歴任。1999-2001年にアジア政経学会理事長。