巨人OBが猛批判「まず落合を切れ!」落合博満40歳が巨人1年目で四番を外された試合…代役は松井秀喜でも原辰徳でもなかった「すみません、落合さん…」
40歳での鮮烈なFA宣言、巨人へ電撃移籍した落合博満……1993年12月のことだった。 あれから30年。巨人にとって落合博満がいた3年間とは何だったのか? 当時を徹底検証する書籍「巨人軍vs.落合博満」が発売1カ月で3刷重版と売れ行き好調だ。 その書籍のなかから、「巨人軍OBの猛批判」を紹介する。優勝は余裕と思われた巨人が大ピンチに……。1年目の落合博満にOBから批判が浴びせられる。【全2回の前編/後編も公開中】 【貴重写真】「落合がマジギレしてる…」死球に激怒する落合40歳&「愛犬かわいすぎ」30代落合博満・信子夫人の発見ツーショット、「20代のカッコいい」落合まですべて見る(30枚超) ◆◆◆ 「気力も体力も充実している舞の海を1番(打者)にしたらどうか」(週刊宝石1994年9月22日号) 1994年9月5日、両国国技館での横審稽古総見に出席した渡邉恒雄社長は、そう連敗中の巨人の貧打を嘆いてみせた。開幕から首位を走り、7月には一時2位に9・5ゲーム差をつけ独走状態で、そごうデパートも「ナイターで(優勝)決定なら翌日から。デーゲームなら、その瞬間からバーゲンに入ります」とVバーゲン宣言までするほどだった。しかし、8月25日から8連敗を喫すると、その間に広島が10連勝と猛追。7月7日の時点で首位巨人に15・5ゲーム差も離され、最下位だった赤ヘル軍団は気がつけば2位に急浮上。9月上旬には2・5ゲーム差にまで迫っていた。
巨人OBは猛批判「まず落合を切れ!」
まさかの巨人急失速。優勝マジックが消えた翌日の8月31日には、長嶋監督が「君たちはとにかくグラウンドで思い切ってプレーしてくれ! 勝敗の責任は監督であるオレが持つ!」と檄を飛ばすも、負けが込むうちにベンチの雰囲気は暗くなる一方だ。そんな中、ひとり通常運転だったのが、落合である。中日の郭源治から死球を受けた左手首の痛みが長引き打撃の調子を崩していたオレ流だったが、いつもと変わらない泰然自若とした態度で試合に出続けた。 V9戦士だったミスターにとって、最近のここぞという時の耐える力がない若い選手たちは頼りなく見えたが、だからといって厳しく怒っては萎縮して持ち味が消えてしまう。そんなとき、百戦錬磨の落合の存在は有り難かった。だが、一方でチームの調子が落ちるとオレ流の振る舞いは、すぐさま獲得時に反対していた巨人OB陣の批判の対象になってしまう。「週刊宝石」1994年9月29日号の青田昇と千葉茂の長老対談では、両者ともに背番号60に対して辛辣なコメントを残している。 〈青田「確かに落合効果というのはあった。でもそれは味方やなしに、敵のほうじゃないか。マスコミのせいよ。中日の落合ならそんなことはしないのに、巨人の落合は怖いぞ怖いぞと煽った。それでビビッて、四球出して後ろにつないでしまう。(中略)でも実際は145キロの球を外角低めかインコースに放ったら打てないのよ。偶像が崩れた」 千葉「来年か、いらんのを切ってな。まず落合を切る。ナベツネがどうしても優勝したいから入れたかもしらんけど、10億も払ってな。金にあかしたらチームは育つ努力をしなくなるものなんだ。あとの古手もやめさす。原とかな」〉
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