非業の死から2年…いま明かされる『村田兆治という生き方』“不可解な死の真相”を真っ向から否定する著者が綴った“サンデー兆治”との35年
志半ばでの非業の死
「離島甲子園」からは現在3人のプロ野球選手が誕生している。 その1人目が三浦さんの出身高校の佐渡高校から桐蔭横浜大を経て巨人入りした菊地大稀投手だった。 三浦さんの後輩のプロ入りを村田さんはすごく喜んでくれた。 「環境に恵まれない島の子でも、頑張っていれば夢が現実になるんだよ。これからもプロが誕生するのが楽しみだよ」 22年に佐渡で開催された「離島甲子園」の全国大会で、村田さんは三浦さんにこう語って目を輝かせたという。もっともっと全国の島からプロ野球選手を誕生させる。それが村田さんの「人生というマウンド」での決意だったはずだ。 志半ばでの非業の死。この本からは村田さんのそんな無念な思いが、確かに伝わってくる。
(「プロ野球亭日乗」鷲田康 = 文)
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