『若草物語』『森の生活』で結実── 超絶主義は今も確実に生き続けている
独立戦争、南北戦争、産業革命と続いた激動期のアメリカ。産業革命の急成長による新たな文明に批判の目をもち、変わらぬ本質を問い直した超絶主義思想がボストン地方で生まれました。その精神は『若草物語』『ウォールデン 森の生活』などの名作に刻まれ、どこか窮屈な日々を過ごす現代日本人にも愛され続けています。 アメリカ文化に詳しい小説家の井上一馬さんが執筆する連載「生き方模索の現代人へーボストン哲学が語りかけるもの」、最終回第5回は「超絶主義思想とルイザ・メイ・オルコットと『若草物語』」がテーマです。
「自分の人生の計画を立てた。私はまだ13歳だが、もう子供ではない」
ラルフ・ウォード・エマーソン、ブロンソン・オルコット、ヘンリー・デイヴィッド・ソロー、そしてルイザ・メイ・オルコットへと受け継がれた森の思想、超絶主義。 父と共に再びコンコードに戻った娘ルイザは、人間の成長にとって最も大切な時期とも言える思春期を迎えていた。そしてルイザは13歳のとき、生まれて初めて自分ひとりだけの部屋を作ってもらう。その喜びを彼女は日記にこう記している。 「私はとうとう長年の夢だった小さな部屋を手に入れた。とっても幸せ。そこではひとりになれるし、母がとてもきれいな部屋にしてくれた……ドアを開けると、そこは庭。夏はとってもきれいだろう。私はこれからいつでも好きなときに、森の中へ走っていけるのだ。私はもう自分の人生の計画を立てた。私はまだ13歳だが、もう子供ではない」
森の中でルイザが感じた「とても不思議な、おごそかな感情」
父の理想主義のためにかなり特異な人生を送ってきたルイザだったが、彼女はすでに13歳にして、はっきりとした人生の目標を持っていたのだ。そして、驚くべきことに、彼女はその目標を、以降の人生の中でほとんどその通りに実現させていくのである。 ルイザが立て、かつ実現させた人生の目標とは次のようなものだった。 「私は愛する家族に必要なものを与えよう。父には安定した生活を、母には平和と日当たりのいい部屋を、姉のアンナには幸福を、病身の(三女の)ベスには看護を、そして(四女の)メイには教育を」 言うまでもなく、彼女がこれらの目標を実現できたのは、作家になることによってだった。 気性が激しく癇癪持ちでもあったルイザは、母に励まされて(「あなたはいつか第二のシェイクスピアになるわ」)、超越主義思想の実験農場「フルートランズ」の時代から日記をつけ始め、そこに自らの思いのたけを綴り、ときに詩を作るようになっていったのである。 コンコードに戻ったある日の日記に、ルイザはこう記している。 「朝早く、草の葉がまだ露に濡れているうちに、私は森の中を走っていった。苔がまるでヴィロードのように見えた。私は、紅く色づいた木の葉のアーチの下をくぐり抜けながら、喜びのあまり歌いだした。私の心はこのうえもなく明るく、世界はこのうえもなく美しかった。私は並木道の先で立ち止まり、ヴァージニア・メドウに陽が上ってくるのを見つめていた。まるで、暗い世界や墓地を抜けて、天上の世界へ導かれていくようだった。そこに立っているとき、私はとても不思議な、おごそかな感情に襲われた。あたりには松の木の葉ずれの音以外、何の音もせず、近くには誰もいなかった。そして太陽は、まるで私ひとりだけのためのように、美しく輝いていた。そのとき、私は神様を感じた。そんなことは初めての経験だった。私は、神様の近くにいるというその幸福感が、生きているあいだ中ずっと続いてくれるように、心の中で神様にお祈りをした」